石垣市真栄里の忠魂碑
名称 | 忠魂碑(石垣市真栄里) | |||
住所 | 〒907-0002 沖縄県石垣市真栄里 |
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解説 |
沖縄県八重山合同庁舎に残っている旧大浜村の忠魂碑。 |
難度 | ||
A |
✅旧大浜村の忠魂碑
今日は沖縄県石垣市真栄里に残っている「忠魂碑」だべ
ポチ太郎
ハチ公
沖縄県八重山合同庁舎と八重山刑務支所の間の道沿いにあります!
戦争では多くの人が亡くなっていきました。
国の為、天皇の為と口にして亡くなっていった彼ら・彼女らを顕彰する目的で造られたのが「忠魂碑」です。
国の為に尽くすことが素晴らしい事と子供達に教えるために忠魂碑が使用されたという話もあるようです。
特に沖縄県内には数ある「慰霊塔」は亡くなった人を弔う物であり、国・天皇の為に身を犠牲にしたことを顕彰する「忠魂碑」は、見た目は同じような物ですが内容は全くの別物です。
戦争を賛美しかねない内容故に、戦後にGHQは「忠魂碑」を破壊する様にしたそうですが、それでも現在まで残っている忠魂碑もあるのです。
✅裏側
忠魂碑の揮毫(書いた人)は、陸軍大将の「松井石根」です。
松井石根は特に中国大陸との関連が深く、ハルビン特務機関長や 中支那方面軍司令官を経験しています。
「特務機関」は簡単に言えばスパイが所属する機関で、大日本帝国でも各地に特務機関を作って情報将校達が命がけで情報収集をしていました。
また、時には日本が有利になるような謀略も行っています。
戦後は松井石根はB級戦犯となり、1948年12月23日に東條英機・広田弘毅・板垣征四郎・土肥原賢二・木村兵太郎・武藤章と共に死刑執行されています。