那覇市壺屋には、かつて防空壕があったべ
ポチ太郎
ハチ公
その場所は’’てんぷら坂’’と呼ばれています!
那覇市内でも最大級のホテル’’ハイアットリージェンシー’’とは道を挟んで反対側に「てんぷら坂」という場所があります。
戦中はそこには防空壕が作られ、現在はわずかですがその痕跡があります。
✅現在のてんぷら坂の壕跡
✅背後にはハイアットリージェンシーが…!!
てんぷら坂
壺屋からマキシに至る坂の通称。この坂に天ぷら屋が立ち並び、その名が付いた。
かつてこの一帯は「一ツ松尾」・「二ツ松尾」と呼ばれる丘陵で、丘には墓が点在し、丘の前の坂道は「ガマヌ下」と呼ばれた。
1944年(昭和19)9月、壺屋町内会が丘に防空壕を掘り、10月9日に完成、翌日、米軍による空襲(10.10空襲)があり、1000人余が避難し助かったという。
1945年、(昭和20)11月に壺屋~牧志一帯が解放されて以降、那覇の人口が増加するとともに、坂に沿って、壕を利用した天ぷら屋が建ち、人々に食を供し、いつしか通りの通称となった。
戦後直後は、てんぷら油は米軍からの「戦果」(盗品)のモービルオイル(機械用潤滑油)が使われたという。黒煙が立ち上り、独特なにおいで、お腹を下す人もいたというが、食料不足の時代、天ぷらはご馳走として喜ばれたという。
1994年(平成6年)に着手された牧志・壺屋西線の道路工事に伴い、丘も坂も多くが削られた。天ぷら坂案内看板を引用