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洲ノ崎海軍航空隊射撃場
今回は千葉県館山市笠名に残る「洲ノ崎海軍航空隊射撃場」だべ
![ポチ太郎](https://kur0s1ba-wank0.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/3.jpg)
![ハチ公](https://kur0s1ba-wank0.com/wp/wp-content/uploads/2021/03/4.jpg)
今は手付かずになっています!!
洲ノ崎海軍航空隊射撃場は里山の麓に手付かずの状態で残されています。
この場所は戦中は機銃の試射を行った場所でした。
館山海軍航空隊通称「館空」に隣接して、「洲ノ空」と呼ばれる施設がありました。
正式名を洲ノ埼海軍航空隊といい、「横須賀海軍航空隊」から独立して開隊した全国でただひとつの「兵器整備練習航空隊」で、操縦以外の航空機にかかわる専門技術を学ぶ養成機関であった。
現:館山海上技術学校がその場所です。
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「洲ノ埼海軍航空隊」を開隊した理由は、米軍の航空兵器が高性能となっていくと戦地からはそれに対抗するための航空兵器の開発・改良が求められ、兵器開発の技術者ばかりでなく多岐にわたる航空兵器の管理・整備をする技術者の養成や訓練が必要となったためです。
指導教官には戦地から実戦経験者を招いて、専門分野は射爆・無線・写真・光学・電探・雷爆などに分けられており、多いときには1万弱の兵が「洲ノ埼海軍航空隊」に集まったといわれています。
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「洲ノ埼海軍航空隊」の施設・設備は、練兵場・本部庁舎・兵舎・講堂が主な建物です。それに加えて戦闘機用機銃の射撃場や練習機・教材飛行機の格納庫、木工鉄工作場・道場・士官宿舎・酒保・ボイラー・烹水所・倉庫・浴場・神社・相撲場などさまざまな施設で構成されていました。
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