黒しばわんこの戦跡ガイド

豊見城市豊見城にあった「第24師団第2野戦病壕」

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第24師団第2野戦病院壕

名称 第24師団第2野戦病院壕
住所 沖縄県豊見城市豊見城
解説 北を漫湖、東側を饒波川に挟まれた海抜約50mに位置する病院壕跡。
沖縄戦時に使用していたのは病院長を小池勇助とする旧陸軍第24師団第2野戦病院。
積徳高等女学校の女生徒で編成された「積徳学徒隊」も滞在していた。
難度
C

今回は沖縄県豊見城市豊見城にあった「第24師団第2野戦病院壕」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

洞窟の中に病院が!?

「第24師団第2野戦病院壕」は豊見城村字豊見城にあります。
この病院壕にいたのは「第24師団第2野戦病院」という部隊です。
沖縄近海を守備していた日本陸軍の第32軍隷下の第24師団に所属する部隊で、負傷兵の救護を行っていた部隊です。
隊長は長野県佐久市出身の小池勇助軍医中佐、部隊に帯同していた人の中には積徳高等女学校の女学生により編成された「積徳学徒隊(ふじ学徒隊)」もいました。

この一帯は北は漫湖・東側を饒波川に挟まれた丘陵地帯で、病院壕の位置は北東端部にあたり海抜は約50mの高台に位置しています。
病院壕は手掘りで掘られた人工壕で、1944年から1945年の5月末頃まで使用しました。
最後は首里司令部の南部撤退に合わせて、第2野戦病院も南部の糸洲の壕へ後退していきました。

第24師団第2野戦病院壕(2023.5)

第24師団第2野戦病院壕が整備されました。
壕入口にフェンスがされ、左右の瓦礫には崩落防止の工事がされ、案内看板も設置されています。

内部図(案内看板より)

陸軍第24師団第2野戦病院壕跡
24th Army Division Second Field Hospital Trench

陸軍第24師団(通称:山部隊)が豊見城城址東端の崖面に構築した野戦病院壕です。
沖縄戦序盤には、西原・浦添方面から負傷した兵士らが次々送られ、一時、壕内には600名近い負傷者であふれかえったといわれています。この壕は私立積徳高等女学校の生徒らが看護隊として配属され、負傷兵の治療や看護にあたっていました。5月27日には戦況の悪化とともに野戦病院壕は糸洲方面に撤退することとなり、その際自力で歩けない患者には水や乾パンなどが与えられ置き去りの処置がとられたそうです。
6月26日、糸洲の壕で看護隊に解散命令が出た時、部隊を率いる小池勇助隊長は女学生らに「けして死んではならない」と生き延びるように諭し、軍とともに行動することを許さなかったため多くの女子学徒が生き延びました。
学徒隊の多くが悲惨な最期を遂げる沖縄戦において積徳学徒隊からはほとんど戦死者はなく、非常に稀な事例とされています。
壕は豊見城城址公園の中で崩落防止の鉄骨支柱を施し一般公開された時期もありましたが、その後公園の閉園と相俟って、崩落の進行が著しく現在は公開されていません。
1982年、部隊生存者と学徒隊によって「患者合祀碑」が壕の近くに建立されています。

案内看板より引用

山部隊野戦病院患者合祀碑
1982年、部隊生存者と学徒隊により建立されました。

洞窟に傷病みとりし 乙女らと今靖かれと ともに額ずく
布白(島尾二)
島尾軍医中尉

小池勇助 軍医中佐

第24師団第2野戦病院を率いた軍医「小池勇助」は長野県佐久市出身の眼科医です。
5男1女の次男として生まれ、医者をしていた母方の伯父をきっかけに医学に興味を持ち医療の道へ進みました。

金沢医学専門学校(現:金沢大学医学部)では内科を専攻。
卒業後に金沢歩兵第七連隊へ入営し、陸軍軍医学校では眼科を専攻します。
35歳で予備役となり帝国大学での研究や眼科医院での勤務ののち、昭和3年(1928年)に地元の長野県の中込駅前に小池眼科医院を開業する。
家族思いで休日は共に温泉などに出かける一方、仕事においては治療費が負担できない人は無償で治療してあげる温厚で優しい人柄は地元でも人気がありました。

医院を開業した後に出征、満州や最期の地となる沖縄へ訪れます。
戦況が悪化し沖縄本島南部の「糸洲の壕」へ移動してからも第24師団第2野戦病院を率いていきましたが、ずっと部隊と行動を共にした私立積徳高等女学校の女子生徒で編成された「積徳学徒隊(ふじ学徒隊)」に解散する様に命令が下りました。
他の学徒隊は即解散命令が出されて銃砲撃が飛び交う外界に追い出されましたが、小池病院長は周辺の銃撃戦が収まるのを待ってから6月26日に学徒隊に解散を伝えました。

女学生らの中には自決を覚悟している子もおりましたが、そんな女学生達に「生き残って家族のもとに帰りなさい。絶対に死んではならない。」と伝えました。
その言葉を胸に壕を脱出した女学生は25人中23人が米軍の捕虜となり、戦後を迎えることが出来ました。

女学生を送り出した後、壕に残った隊長は壕内で自決しました。



辞世の句
南の孤島の果まで守りきて
御盾となりゆく吾を
沖のかもめの翼にのせて
黒潮の彼方の吾妹に告げん


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