運玉森
今回は沖縄県島尻郡与那原町与那原に残る「運玉森」だべ
米軍からはコニカル・ヒルと呼ばれました!!
沖縄県島尻郡与那原町と中頭郡西原町の境目にある山が「運玉森」です。
運玉森は方言では「ウンタマムイ」や「ウンタマモー」と呼ばれており、一部では「西原富士」とも呼ばれるそうです。
沖縄芝居で登場する義賊「運玉義留(ウンタマギルー)」が隠れ棲んだ場所としても伝えられています。
沖縄戦時には第32軍司令部のある首里と目と鼻の先の距離であることから、歩兵第89連隊が首里防衛のために激戦を繰り広げた場所であり、米軍からは「コニカル・ヒル(円錐の丘)」と呼ばれました。
運玉森は中城湾や慶良間諸島、嘉数高地、八重瀬方面など見渡すことができる上、首里司令部にも近い要地である為、山の麓の与那原には浜田地区に軍事施設が構築され多数の部隊も駐屯しました。
運玉森高地=第24師団歩兵第89連隊
与那原=陸戦隊山口大隊
雨乞森(チェスナット高地)=船舶中隊(地下に魚雷基地)
大里城址=重砲兵聯隊
戦場となった運玉森の現在は整備されて標高160mの頂上までは登りやすくなっています。
整備されたのは2020年以降であり、それまでは未整備で草をかき分けて頂上まで登る必要がありました。
1944年、那覇全体を焦土にした10・10空襲の際にも与那原は空襲被害を受けており、上陸前の猛烈な艦砲射撃・空襲により集落は壊滅しています。運玉森の北に位置する西原にも猛烈な艦砲射撃があったことから、この一帯の重要性が分かります。
米軍は1945年4月に沖縄本島に上陸後、5月13日頃から運玉森に攻め込みました。
その後、首里司令部を包囲するために南風原町や那覇市街にも戦線を拡大していきました。
5月21日には与那原十字路到着し、上の森、すぐさま雨乞森(チェスナット高地)を占領しました。
未整備だった頃は登るのに20分以上かかりましたが、整備された現在は10分もかからないで登れました。