名称 | 掩体壕(エンタイゴウ) | |||
住所 | 〒294-0033 千葉県館山市宮城94 |
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解説 | 航空機を守る為に作られたコンクリート製の建造物。 館山海軍航空隊で使用された掩体壕が残っている。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
千葉県館山市の赤山地下壕から10分ほど歩くと館山海軍航空隊の掩体壕があります。
周りは住宅と田んぼが入り混じる長閑な風景ですが、そんな中に掩体壕が異彩を放っています。
掩体壕(えんたいごう)とは、飛行機や装備や物資、人員などを敵からの爆撃から守るために造られた収納庫で、爆撃でも壊れないように分厚いコンクリートで固められています。
また、空から見て掩体壕とわからないように草木を被せたりしてカモフラージュしていました。
戦中、館山市は太平洋に面していることから要衝とされていました。
掩体壕の他にも「鬼の館砲」と呼ばれた館山海軍砲術学校であったり、洲崎海軍航空隊が使用していた射撃場、特攻兵器「震洋」の基地、飛行機の部品・弾薬・食料・燃料などを保管するための倉庫などさまざまな建物がつくられました。
現在では見ることが出来ないものも多く、掩体壕も40以上存在していましたが現在は二つしか見ることができなくなっています。
掩体壕内パノラマ写真

✅館山海軍航空隊とは
館山海軍航空隊は1930年に設立された比較的初期から存在する海軍航空隊です。
日本では神奈川県の横須賀海軍航空隊(以下横空)が海軍初の航空隊であり、作戦・研究・教育に至るまで全てを任されていました。
時代が進んでくると徐々に航空機の力が認められ、航空戦力の拡充が行われると横空のみでは処理しきれなくなってきます。
そんな時に設立されたのが茨城県の霞ケ浦に面する霞ヶ浦海軍航空隊(以下霞空)であったり、館山飛行場を機に設立された館山海軍航空隊(以下館空)でした。
霞空では予科練も含めた航空機搭乗員の育成を担当し、館空では艦上攻撃機・水上偵察機を装備し実戦部隊が配備されました。
その後、木更津にも航空隊が設立されることを機に実戦部隊は木更津海軍航空隊へ移して、館空は内戦作戦部隊へシフトしていきます。