名称 | 赤松隊本部壕 | |||
住所 | 〒901-3501 沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷2760 |
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解説 | 1944年9月から島に配備された赤松嘉次大尉率いる海上挺進第三戦隊、通称:赤松隊が使用していた。 大小20程の壕が北山の谷間に現存している。 |
難度 | ||
A |
✅赤松隊本部壕がある谷間
渡嘉敷島の渡嘉敷集落の北側に「国立沖縄青少年交流の家」があります。
その施設の一つ、浴室棟の裏側に「赤松隊本部壕」への入口があります。
かつて、この地には海上挺進第三戦隊、通称:赤松隊の陣地がありました。
「海上挺進戦隊」は陸軍から選抜された下士官・将校により編成された部隊でした。
250kg機雷を積載したベニヤ板製のモーターボート「四式肉薄攻撃艇(通称:マルレ)」で、ボートごと目標物に突っ込む特攻をする部隊です。
水上を主戦場とするので海軍と思われがちですが陸軍による部隊になります。
本来はボートに積んだ機雷を設置して速やかに離れることを目的としていましたが、最終的には機雷を積んだまま特攻する攻撃方法がとられました。
このベニヤ製モーターボートは陸軍と海軍で似た物を造っており、陸軍は「四式肉薄攻撃艇・マルレ」、海軍は「震洋(シンヨウ)」と呼ばれ、機雷を積む場所など構造が異なっています。
✅浴室棟裏にある案内
✅入口
浴室棟の裏側に壕群へ続く入口があります。
ハブ進入防止の為に重たい柵がされていますが自由に開けることができます。
もちろん、中に入ったら閉めておきましょう。
✅壕群へ続く階段
入口を入ると下り階段が続いています。
壕群は小川が流れる谷間にあります。
✅整備された舗装路
階段を降りていくと谷間に出ます。
見学しやすいように通路が整備されており、見るだけなら汚れることはありません。
通路を進んでいくと整備されていない谷間に降りられます。
川辺ということもあり、ぬかるんでいる場所もあります。
✅壕1
壕前には看板が建てられています。
✅壕2
✅壕3
看板が建てられた場所以外にも、壕跡に見える窪みがあります。
多くの壕がありますが、どれも奥行はそこまで広くありません。
入口の高さも腰上くらいの高さなので、内部に入るには屈みながら進まなくてはなりません。
✅壕4
✅壕5
浸水している壕も多いです。
ちょっと道を外れて斜面を登ってみると「タコツボ」のような窪みがありました。
「タコツボ」は塹壕の一つで、人が伏せて隠れるくらいの穴で、穴で身を隠しながら隙を見て射撃する際に使います。
✅タコツボ?
✅壕6
✅壕7
✅壕8
✅壕9
✅壕10
✅壕11
✅壁面に明かり置き
これらの壕を使用していた海上挺進第三戦隊(赤松隊)は、隊長を赤松嘉次大尉として渡嘉敷島に配備されていました。
1944年9月に隊は上陸し、学校を兵舎として使用し、島内の壕の構築には大人のみならず子供まで動員されます。
同年10月10日の10.10空襲によって船が破壊され孤島と化した渡嘉敷島でしたが、更に1945年3月には艦砲射撃も開始され島内の様相は一変しました。
島内西部の阿波連と渡嘉志久に展開していた赤松隊でしたが、激しい攻撃から自ら四式肉薄攻撃挺(マルレ)を破壊して、現在の国立沖縄青少年交流の家がある「北山(ニシヤマ)」に引き上げ赤松隊本部壕にて持久戦へ方針転換します。