名称 | アハシャガマ | |||
住所 | 〒905-0502 沖縄県国頭郡伊江島 |
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解説 | 伊江島カントリークラブに隣接して残っているガマ。 爆雷による自決で約150名が死亡、20名程が生き残った。 1971年まで埋没していたが村民によって掘り起こされた。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
✅アハシャガマ
今日は沖縄県の伊江島にある「アハシャガマ」だべ
ポチ太郎
ハチ公
自決のあったガマですね!
伊江島北東部にあるゴルフ場横に「アハシャガマ」があります。
このガマは伊江島での地上戦の際に村民の避難壕となっていましたが、米軍捕虜になることを恐れ爆雷による自決がありました。
爆発により壕は埋没していましたが1971年に住民により掘り起こされ、遺骨は村内にある「芳魂の塔」に納められました。
アハシャガマ
Ahasha Cave
1945年4月16日から始まった伊江島戦の激戦の末、アハシャガマに隠れていた村民は米軍の捕虜になるのを恐れ、防衛隊が持ち込んでいた爆雷で自爆し、村民約150名の尊い命が失われました。
その時、生き残った者は20人ぐらいと言われています。壕は爆発で埋没したままになっていましたが、1971年12月に村民の手で発掘され、遺骨は芳魂之塔に合祀されています。
伊江島は内陸に位置する「タッチュー」を除き、ほぼ平坦な地形になっています。
その地形から帝国陸軍航空本部により「伊江島飛行場」が建設されました。
飛行場があることから米軍の攻撃のターゲットとされ、1945年4月16~21日の5日間の間に米軍との戦闘が行われました。
上陸時には、艦砲弾やロケット弾、航空機によるナパーム弾攻撃が行われ、伊江島全体が焦土と化しました。
伊江島の戦いでは住民約1500人、日本将兵約2000人の人々が亡くなりました。
「アハシャガマ」はいくつもの小さな壕口と大きな壕口が内部で繋がっており、一つのガマを形成しています。
大きな壕口から内部を見てみると、15mから20mほど奥行があるように見えます。