名称 | 特攻神社 | |||
住所 | 〒899-0211 鹿児島県出水市知識町346 |
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解説 | 終戦の際に廃宮していたが有志の支援によって再建された神社。 特攻隊員を祭神としている。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
✅特攻神社
今日は鹿児島県出水市知識町の「特攻神社」だべ
ポチ太郎
ハチ公
この付近には「出水海軍航空基地」がありました!!
この出水市には「出水海軍航空隊」が置かれていた「出水海軍航空基地」がありました。
1940年に基地が完成し、翌年には真珠湾攻撃に向けて航空母艦「飛龍」「蒼龍」の飛行部隊がこの地で訓練を行っています。
訓練場所は主に錦江湾や七尾島でした。
1942年には練習航空隊として「出水海軍航空隊」が置かれます。
急増した飛行兵の練習航空隊でしたが、出水基地に763航空隊(銀河隊)が置かれ、正式な攻撃基地として使用されるようになると、訓練中の飛行兵らは朝鮮半島の光州へ移動していきました。
そして航空基地である為に敵国から幾度も空襲を受けています。
特攻碑公園の衛兵塔や現存するボイラー室跡には機銃掃射の痕が確認できます。
現在の特攻神社の場所に、1943年に「隊内神社」が建立しましたが終戦時に廃宮となりました。
戦後、特攻隊員を偲ぶ有志の方の支援により、元の「隊内神社」の場所に「特攻神社」が建てられました。
祭神は「祀られている特攻隊員」としています。
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当神社は、昭和十八年四月一日開隊された出水海軍航空隊の守り神として建立された。
後になって同航空隊が出水基地特別攻撃隊となるや、出撃する特攻隊員の総てが当神社に使命の成功を祈願して出撃した。
大東亜戦争の終結により航空隊は解散し神社も放置され、神社跡地には杉木が植樹され発見されなかった。
その後平成2年宅地造成により、神社の台座が発見されたので、創始者たる崇敬者達が当地を買収し、特攻隊員として戦場に散った各位の御霊を祠ると共に、祭神の神徳を広めるため「特攻神社」を建立した。
後になって同航空隊が出水基地特別攻撃隊となるや、出撃する特攻隊員の総てが当神社に使命の成功を祈願して出撃した。
大東亜戦争の終結により航空隊は解散し神社も放置され、神社跡地には杉木が植樹され発見されなかった。
その後平成2年宅地造成により、神社の台座が発見されたので、創始者たる崇敬者達が当地を買収し、特攻隊員として戦場に散った各位の御霊を祠ると共に、祭神の神徳を広めるため「特攻神社」を建立した。
✅英霊之碑
第二次世界大戦において祖国日本を守護せんとして昭和二十年四月十七、十八日 出水海軍航空隊基地にて壮烈な戦死を遂げた出水第二海軍航空隊所属練習生の若き勇士百余名の無名戦士の墓標を英霊の碑と改め茲に判明された戦死者の名を刻し永久に安らかに眠り給えと祈りこの碑を建立せるものである
✅旧社殿
✅「南方のかなた」像
✅社殿
この地から200余名の特攻隊員が南方の海へ飛び立ちました。