名称 | 盛加越の海軍通信隊壕 | |||
住所 | 〒906-0000 沖縄県宮古島市平良東仲宗根550 |
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解説 | 現在の盛加越公園の場所には、旧海軍の通信隊が使用していた地下施設があった。 現在は通気口用のコンクリートの柱が3本残っているのみで、蓋もされているので中に入ることはできない。 4畳半から6畳ほどの部屋が3つ繋がった造りだった。 |
難度 | ||
A |
✅盛加越の海軍通信隊壕跡
今日は沖縄県宮古島市平良東仲宗根にある「盛加越の海軍通信隊壕」だべ
ポチ太郎
ハチ公
盛加越公園内にあります!
宮古島市平良東仲宗根に「盛加越公園(モリカゴシコウエン)」があります。
この公園の中には、公園の風景にそぐわないコンクリート建造物が建っています。
かつてこの場所には旧日本海軍の地下施設がありました。
海軍の通信隊が使用していたこの地下施設は、モールス信号を受信したり、飛行機の離発着のための気象観測が行われていました。
現在残っているコンクリート建造物は通気口の部分ですが、戦後に安全のために壕口には塞がれています。
この通気口の下それぞれに4畳半から6畳ほどの小部屋があり、この3つの部屋は繋がっていて行き来ができる構造だったようです。
✅通気用の穴?
持ち手と思われる鉄筋はさび付いています。
普段はコンクリートの蓋がされていたのでしょうか?
それとも、このコンクリートの蓋は戦後に付けられた物なのかな?
蓋の具合を見ると戦中から使われていそうです。
看板横の通風孔から3~4mくらい離れた所に2つ同じものが建っています。
✅風化したのか少し削れています
✅弾痕?
弾痕らしき傷がありました。
宮古島では米軍が上陸しての戦闘はありませんでしたが、1944年10月10日の空襲(10.10空襲:沖縄県全域に行われた大空襲)から空襲が増えてきます。
宮古島には軍用飛行場があったので特攻機の中継場所としての要所と判断され、飛行場などの軍用施設を中心とした爆撃だけでなく1945年になってくると現:宮古島市平良の市街地にまで焼夷弾爆撃や艦砲射撃がありました。
焦土と化した宮古島では食糧難が発生したことによる栄養失調、長い壕生活による衛生面の問題からマラリアが流行して病死者も大量に発生します。