黒しばわんこの戦跡ガイド

旧陸軍 調布飛行場 白糸台掩体壕

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ポチ太郎
今日は府中市にある白糸掩体壕だべ

ハチ公
調布飛行場だけど三鷹市,府中市,調布市にまたがっています!!

府中市の西武多摩川線と甲州街道が交わる地点に旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕があります。
周辺は住宅街ですが、掩体壕付近は整備されています。
陸橋の下にあるので、アクセスする際は注意が必要です。

✅調布飛行場

調布飛行場は昭和13(1938)年に東京府によって、東京府北多摩群多摩村(府中市)・調布町・三鷹村(三鷹市)にまたがる約50万坪の広大な土地に計画され、農地や寺院などの民有地を買収する形で進められました。昭和16年(1941)年4月に官民共同の飛行場として設置されましたが、同年8月には陸軍専用の飛行場として使用されるようになり、帝都防空の拠点として「飛行第244戦隊」が置かれ、三式戦闘機「飛燕」など多数の戦闘機が配備されました。戦争末期には、鹿児島県の知覧基地への中継点として、特攻隊の訓練も行われました。
終戦後は進駐軍に接収され、飛行場西側の府中市域には、軍に野菜などを供給するための「調布水耕農場」が建設されました。
その後昭和39(1964)年の東京オリンピック開催に伴い、代々木にあったアメリカ軍居住用施設がこの地に移転し、「関東村」と呼ばれました。関東村は昭和49(1974)年12月にアメリカ軍より全面返還され、跡地には大学・病院・福祉施設などが建設されました。
平成13(2001)年には「東京都調布飛行場」として正式開港し、現在は伊豆諸島方面への空の玄関口として小型機が運行されています。

平成24年3月 府中市教育委員会設置看板より

✅調布飛行場

✅旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕

終戦後、調布飛行場周辺の掩体壕も、多くは取り壊され、現在は三鷹市の都立武蔵野の森公園に2基(大沢1号・2号掩体壕)、府中市内に2基、計4基の有蓋掩体壕が残るのみとなりました。そのうちの1基がこの旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕(以下、「白糸台掩体壕」といいます。)です。
白糸台掩体壕は、旧所有者が繰り返し補修を行ってきたことから、これまで良好な状態で保存されてきました。府中市では平成18(2006)年の平和都市宣言20周年を機に、白糸台掩体壕の保存・公有地化を決定し、平成19年12月から平成20年3月まで、その構造などを確認するための調査を実施しました。その結果、戦闘機「飛燕」とほぼ同じ規格で造られていたことが判明したほか、排水設備や砂利敷き、誘導路、実際に機体を収納していたことを示すタイヤの痕跡が発見され、平成20(2008)年に市に史跡に指定しました。その後、コンクリートや鉄筋の保存修理工事を経て、平成23(2011)年度に保存整備を実施し、平成24年(2012)年3月より一般公開を開始しました。
終戦から長い年月が経過し、戦争の記憶が風化していくなか、戦争遺跡を文化財として保存・活用していく気運は経過し、戦争の記憶が風化していくなか、戦争遺跡を文化財として保存・活用していく気運は全国各地で高まっています。戦争の悲惨さや平和の尊さを通義の世代へと語り継いでいくための貴重な歴史遺産として、市民の皆様と共同で白糸台掩体壕を永く保存・活用していくため、今後ともご理解・ご協力をお願いいたします。

平成24年3月 府中市教育委員会設置看板より

✅掩体壕

アメリカ軍による本土空襲の激化に伴い、残り少ない貴重な戦闘機を空襲から守り、隠しておくための格納施設が、全国の軍用飛行場周辺に作られました。この施設のことを一般的に「掩体壕」と呼んでいます。コンクリート製の屋根にあるもの「有蓋掩体壕」と呼び、区別しています。
調布飛行場周辺では、昭和19(1944)年6月から9月にかけて、有蓋約30基・無蓋約30基、あわせて約60基の掩体壕が作られました。建設は陸軍と建設業者が中心となり、地元住民や中学生も作業に動員されました。
有蓋掩体壕は、⓵饅頭のように土を盛り、よく固まる⓶その上に紙やムシロ、セメント袋などを敷き、柱や梁の部分は板枠で型をとる⓷鉄筋を置いてコンクリートを流し込む⓸コンクリートが固まったら、内部の土を掘り出して上にかぶせ、草木などで偽装する という手順で構築されたと考えられます。労力も物資も乏しい戦時下に、粗悪な資材を用いてきわめて短期間のうちに造られたものである、といえます。また、こうして造られた掩体壕だけでは数が足りず、格納しきれなかった飛行機は、浅間山や多磨霊園、下石原八幡神社、調布市飛田給方面などの樹木の茂った場所に設けられた「分散秘匿地区」まで運ばれました。
かつて全国に1000基以上作られたといわれる掩体壕ですが、その多くは既に取り壊され、現存しているものも、経年による劣化や開発工事などによって、消滅の危機にあるものが少なくありません。

平成24年3月 府中市教育委員会設置看板より

✅有蓋掩体壕

有蓋掩体壕はコンクリート製のかまくらのような物で航空機を守るものでした。

✅無蓋掩体壕

無蓋掩体壕はコンクリートを用いず、周りに土を盛って土手を造るタイプや、竹や草木で簡単な屋根も造られた場合もありました。

✅飛行機「飛燕」

飛燕」は旧陸軍の「三式戦闘機」の愛称です。川崎航空機製で、ドイツのダイムラーベンツの技術を元に国産化した液冷エンジンを搭載した、スリムなデザインが特徴の戦闘機です。エンジン出力は1100馬力、最高時速590㎞/hで、旧陸軍の戦闘機の中では速度性能と航空能力に優れており、昭和18(1943)年に陸軍の主力戦闘機として正式採用されました。アメリカ軍のB29爆撃機による本土空襲が激しくなる中、攻撃が可能な数少ない戦闘機のひとつであり、時には敵機に体当たり攻撃を仕掛けることもありました。

平成24年3月 府中市教育委員会設置看板より

ダイムラーベンツが開発した液冷エンジンを日本でライセンス生産し搭載している「飛燕」は、軽戦闘機と重戦闘機の中間を担う為に設計されました。試作段階で高い性能を発揮しましたが、日本には珍しい液冷エンジンは大量生産と整備面が困難でした。
大戦中期はニューギニア方面で活躍し、フィリピン方面と本土防空に移りました。
本土ではB29に体当たり攻撃する時にも使用されました。

戦後は子供の遊び場にもなったそうです。

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戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
2020年4月から月・水・金の更新を目指します。 [詳細]