アリラン慰霊のモニュメント
名称 | アリラン 慰霊のモニュメント | |||
住所 | 〒901-3501 沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷 |
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解説 | 日本軍に慰安婦として連行された女性らの慰霊碑。 | 難度 | ||
B |
沖縄県の渡嘉敷島に「アリラン 慰霊のモニュメント」があります。
渡嘉敷港の南側にある丘陵中腹にあり、歩きでアクセスするのは厳しい場所です。
碑文
第二次世界大戦末期、日本本土防衛の捨て石とされた沖縄の戦場に、朝鮮半島などから千余名の女性たちが日本軍の性奴隷として、また万余の男性たちが軍役の奴隷として連行されました。
海上特攻艇の秘密基地とされた慶良間の島々には、千余の「軍夫」が苦役に、21人の女性が「慰安所」につながれました。
1945年3月26日米軍上陸の前夜、住民たちは日本軍によって無念の死を強制されました。一方で「慰安婦」たち4人は非業の死をとげ、日本軍の迫害と虐殺による「軍夫」たちの犠牲は数百人にのぼります。
「将兵に性を売った女」として、半世紀以上も歴史から抹殺されてきた20万人余の女性たち。
その存在に光をあてた記録映画「アリランのうたーオキナワからの証言」(1991年監督朴壽南)の制作活動に参加した橘田浜子は、戦後、帰郷の道を失って沖縄に取り残された渡嘉敷の元「慰安婦」ペ・ポンギさんが死後五日目(1991年10月19日)に発見されたことに衝撃を受け、悲惨な犠牲を強いられた女性たちを悼み、心に刻むモニュメントの建立を呼びかけました。阿嘉島の垣花武栄をはじめ全国から資金が寄せられました。
渡嘉敷村の皆様からは、戦後初めて韓国から慰霊団を招きこの地で催した合同慰霊祭(1990年10月27日)が機縁ともなって、建立地の提供など物心にわたるご支援をいただきました。
生命を象徴する玉石は、韓国の彫刻家チョン・ネジン氏より寄贈された作品です。モニュメント制作には、伊集院真理子・本田明など県内外から多くの人が参加して、渡嘉敷に築窯、共同作業によって、完成しました。
モニュメントの完成に至る年月は、日本の国家責任を問い、自らの尊厳の回復を求めて立上がった、アジアの被害者のたたかいと結び合い、私たちが歴史への責任を自らに課した日々でもありました。
このモニュメントが、再び侵略戦争を繰り返さないために真実を語り継ぎ、生命の讃歌をうたう広場となることを祈念しつつ。美しければ 美しきほどに 悲しかる
島 ゆきゆきて 限りなき恨