名称 | 糸数壕(アブチラガマ) | |||
住所 | 〒901-1400 沖縄県南城市玉城糸数667 |
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解説 | 沖縄本島南部にある南城市内にある自然洞窟で、戦中は南風原陸軍病院分室として使用されていた。 総延長270m程の壕内を600人近くの傷病兵が埋め尽くし、軍医や看護師と共に看護補助要員として「ひめゆり学徒隊」が活動していた。 HPにて360°パノラマの内部写真を見ることができる。 |
難度 | ||
C (予約が必要) |
この記事は前回の記事の続きです。
懐中電灯を消すと闇の世界が広がります。
岩間から差し込む微かな日光の中、水の滴る音が響きます。
ひめゆり学徒がアブチラガマに赴任した時には電気が通っていたようですが、戦況が悪化してくると電灯などは回収されてしまい、蝋燭や空気口から入る光を頼りに作業にあたっていたとのことです。
そんな環境の中でも赴任当初はひめゆりの生徒たちはアブチラガマは天国に思え喜んだそうです。
ひめゆり学徒の方々は、アブチラガマの前に陸軍病院南風原壕(南風原壕)という南風原町にある壕で勤務していました。
南風原壕と比べるとアブチラガマは広さがありました。
来たばかりの頃は陣地としても使用されていたため、電灯もあり壕内にかまどと井戸もありました。
南風原壕では壕と炊事場が離れていたおり、弾雨の中を炊事場から壕までの道の間を山道を登らなくてはいけませんでした。
それと比べると、アブチラガマでは危険を冒して外に水を汲みに行ったりする必要がありません。
しかし、米軍が侵攻してくるとアブチラガマの雰囲気も変わります。
南風原壕で治療しきれない患者が壕内に溢れかえり、壕内には600人程の負傷兵が運ばれました。
その大量の負傷者を軍医3人と看護婦、ひめゆり隊の計20人程で対応をしたそうです。
戦況が悪化すると壕内の電灯は回収され視界も悪く、ただの洞窟をほぼ裸足のような状態での作業となりました。
壕内の一角にあった脳傷と破傷風患者を留めておく場所からはうめき声が聞こえてきたそうです。
また、壕の中程にある少し高くなった場所は微かな日光も差し込む為に手術室として使われました。
そこでは薬品の不足のために麻酔無しで手足を切断する等が日常だったため患者の絶叫が壕内に響いたとのことです。
やがて、病院壕も南部撤退となり、自力で歩ける軽症者は隊への復帰命令がありましたが、重傷者は壕へ取り残されます。
病院撤退後のアブチラガマには重傷者と避難民が残りました。
壕を出た者たちは戦場の中を南部目指して歩きました。
✅HPでは360°パノラマの画像を見ることができます。
糸数アブチラガマのHPでは、壕内の360°パノラマの映像を見ることができます。
実際に行くことができない人でもガマ内の様子を見ることができます。