第24師団第1野戦病院本部壕
名称 | 第24師団第1野戦病院 本部壕 | |||
住所 | 〒901-0402 沖縄県島尻郡八重瀬町富盛 |
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解説 | 八重瀬岳中腹にあった病院壕。 2段ベッドを使用し500人の収容能力があったが、すぐに満床となったので東風平分院と新城分院が新たにつくられた。 5か所の入口があったが、現在は全ての入口が土砂で埋まっている。 |
難度 | ||
A |
今日は沖縄県島尻郡八重瀬町富盛にあった「第24師団第1野戦病院 本部壕」だべ
ポチ太郎
ハチ公
現在は埋没してしまってますね!
沖縄県の八重瀬町の中央部に「八重瀬岳」という丘陵があります。
岳といいつつも車で上がることができ、この場所にはかつては「八重瀬グスク」という城があったことからか、全体が城址公園として整備されています。
沖縄戦の時、八重瀬岳には「第24師団第1野戦病院」という部隊が配置されていました。
この部隊は軍医が率いる病院機能を持つ部隊で、負傷した兵隊がこの場所に運ばれ手当てを受けるのです。
現在、この部隊が手術で使用していた「手術場壕」が案内看板付きで整備されています。
しかし、当時はこの手術場壕以外に「本部壕」が存在していました。
この本部壕は5ヵ所の壕口が存在していましたが、現在は土砂によって全て埋没してしまいました。
5か所の壕口から延びる直線坑道を壕内で貫通させていました。
坑道には2段ベッドを置き500人程の収容能力がありましたが、すぐに満床となってしまったために1945年4月下旬中には新たに「東風平分院」と「新城分院」を設置しています。
これらの分院は6月3日に閉鎖され、翌日には第24師団第1野戦病院本部が閉鎖されました。
本部壕の場所は、現在の八重瀬公園駐車場から少し下った場所になります。
✅本部壕跡
5ヵ所の壕口からなる本部壕は比較的大きな壕で、駐車場を下った先にある広場の端から配水塔を超えた先にまで壕口がありました。
✅壕口近辺の現状
壕口があったとされる斜面を見てみますが、土砂で埋まっていることに加え深い緑に覆われています。
本部壕の調査のため、壕上部に穴をあけて内部に入ったこともあるようですが、その時にあけた穴も埋まってしまったとのことです。
そのため、行政の調査でもなければ一般の人が壕に入るのは難しくなっています。