名称 | 糸数壕(アブチラガマ) | |||
住所 | 〒901-1400 沖縄県南城市玉城糸数667 |
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解説 | 沖縄本島南部にある南城市内にある自然洞窟で、戦中は南風原陸軍病院分室として使用されていた。 総延長270m程の壕内を600人近くの傷病兵が埋め尽くし、軍医や看護師と共に看護補助要員として「ひめゆり学徒隊」が活動していた。 HPにて360°パノラマの内部写真を見ることができる。 |
難度 | ||
C (予約が必要) |
アブチラガマは沖縄県の本島南部にある南城市玉城字糸数にある全長270メートルの自然洞窟です。
沖縄戦の際は糸数住民の避難場所や日本軍の地下陣地・倉庫として使われていましたが、戦況が悪化し南風原陸軍病院だけで処理しきれなくなった患者が増加したために陸軍病院の分室となりました。
この場所にも軍医や看護婦、看護補助要員としてひめゆり学徒が配属、約600人に及ぶ負傷兵の看護にあたりました。
しかし、米軍の侵攻により戦況が更に悪化、陸軍病院にも南部への撤退命令が出ます。
自力で歩ける者は隊への復帰命令がありましたが、重症患者に関しては壕に置き去りにされました。
その後は米軍の馬乗り攻撃にあいながらも生き残った負傷兵と住民が、米軍の投降勧告に従って8月22日にガマを出ました。
✅「アブチラガマ」の意味
「アブ」→深い縦の洞穴
「チラ」→崖の意味。沖縄の方言では崖が縦に大きく落ち込んだ所
「ガマ」→沖縄の方言で「洞穴」や「窪み」のこと
沖縄本島中南部は隆起したサンゴ礁(琉球石灰岩)で出来ており、数十万年にわたる雨の浸食により地下にできた自然洞窟が各地にあります。
沖縄戦ではこれらの自然洞窟が住民の避難場所や日本軍の作戦陣地・野戦病院として利用されました。
まず糸数アブチラガマ案内センターで受け付けをします。
基本的に事前予約が必要ということで、予約せずに行くとガイドさんを電話で呼び出す形になり、都合で来ることができないと中に入ることはできないようです。
パンフレットにも「電灯とガイドなしでは入壕できません」と書いてありますが、電灯はレンタルもできるようです。
ガイドさんにはガイド料1000円を払うので、ガイド料と入壕料が必要になります。
案内所からアブチラガマまではすぐです。
入口から急な階段が地底に続いています。
壕内へ降り立ってみるとライト無しでは何も見えません。
湿度も高く、地上からの音もほぼ入ってこない静寂は落ち着くことができません。
アブチラガマの体験談を読んでみると、平和学習で訪れた中高生の中には泣き出してしまったり、気分が悪くなってしまう子もいるようです。
多くの人が亡くなった沖縄の地ということを別にしても、このガマの中の重い空気を体験してみるとそうなってしまうのも仕方ないかと思います。
ちなみに壕内では写真は遠慮してくださいといわれました。
壕内で決められていた便所や軍医室などそれぞれの場所に看板が立っています。
各々でガイドさんが説明をしてくれますが、場所が場所だけにガイドさんの説明も熱が入っています。
私のガイドをしてくれた人は「あなたがここに連れてこれたら何を思いますか?」など質問をしてくる形でした。
途中、脳傷患者と破傷風患者がいた場所を通ります。
当時、薬の不足や技術不足から脳傷や破傷風になった場合、多くの場合は見捨てられるそうです。
そして壕の奥の方に集められていました。
ガイド「この場所でライトを消してみましょう」
ライトがすぐ点けることができると分かっていても躊躇ってしまいます。
続きは↓↓↓
✅HPでは360°パノラマの画像を見ることができます。
糸数アブチラガマのHPでは、壕内の360°パノラマの映像を見ることができます。
実際に行くことができない人でもガマ内の様子を見ることができます。