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武蔵村山をはじめ、立川近辺や福生、みずほには飛行場や研究所、機械関連の施設が建設されており、陸軍の航空部門の拠点となっていました。この武蔵村山の大南地区には東京陸軍少年飛行兵学校という陸軍の航空部門の学校がありました。
現在は校舎等は残っておらず、学校があったことを示した「揺籃之地」と正門があった場所「東航正門跡」という二つの碑が残っています。
三鷹にあった中島飛行機の工場が米軍の爆撃のターゲットになったのと同様に、武蔵村山やその近辺も200回ほどの爆撃を受けてしまったために遺構が残っていないものと思われます。
✅武蔵村山市立歴史民俗資料館分館
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分館ということもあり、とてもこじんまりとした建物です。駐車場は乗用車3台。係の人が1人常勤しているようです。中にはこの地にかつてあった旧陸軍少年飛行兵学校に関しての展示や、地域住民の暮らしぶりなどの説明もありました。灯火管制仕様のランプや陶器製アイロンなどの実物の展示、東航の教科書や宿題等が展示してありましたが、館内は撮影禁止とあったので写真は無し。
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✅揺籃之地
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武蔵村山市指定旧跡
東京陸軍少年飛行兵学校跡地
指定二十一号 平成19年7月10日指定
この「揺籃之地」石碑の建っている場所には、かつて東京陸軍少年飛行兵学校本部校舎がありました。
東京陸軍少年飛行兵学校に入学するには小学校高等科卒業以上の学力を有する満14歳から17歳までの者とされていました。授業の科目は、午前中が国語・数学や兵器学など、午後は軍事教練などの術科と体操でした。
また、学校北側の練兵場では、グライダーによる滑空訓練も行われていました。これら1年間の課程が修了すると、適性検査の後、操縦・整備・通信の各分野に分かれた2年間の上級学校に進み、その後全国の飛行隊に配属となりました。
当時の様子をとどめる建物は現在残っていませんが、かつての少年飛行兵学校の跡地には「東航正門跡」石碑と「揺籃之地」石碑が建てられています。
武蔵村山市教育委員会では、市内に大きな軍事施設が存在したことと、少年飛行兵学校を卒業した多くの人たちが戦死したことを後世に伝え、世界恒久平和を祈るために、その記憶をとどめる2つの石碑が建立されている地を、「東京陸軍少年飛行兵学校跡地」として市の文化財(旧跡)に指定しました。平成21年3月
武蔵村山市教育委員会
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✅東航通り
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✅東航正門跡
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武蔵村山市指定旧跡
東京陸軍少年飛行兵学校跡地
指定二十一号 平成19年7月10日指定
この「東航正門跡」石碑の建っている場所には、かつて東京陸軍少年飛行兵学校の正門がありました。
東京陸軍少年飛行兵学校は、陸軍航空兵養成のため、昭和12年(1937)10月、熊谷陸軍飛行学校内に東京陸軍航空学校として開校しました。翌昭和13年(1938)9月、村山村中藤《現在の武蔵村山市大南3・4丁目》の立川陸軍飛行第五聯隊射爆場に20万坪(約64万㎡)の敷地を得て移転してきました。その後、昭和18年(1943)3月の陸軍少年飛行兵学校令公布により、東京陸軍航空学校は東京陸軍少年飛行兵学校と名称を改めました。
当時の様子をとどめる建物は現在残っていませんが、かつての少年飛行兵学校の跡地には「東航正門跡」石碑と「揺籃之地」石碑が建てられています。
武蔵村山市教育委員会では、市内に大きな軍事施設が存在したことと、少年飛行兵学校を卒業した多くの人たちが戦死したことを後世に伝え、世界恒久平和を祈るために、その記憶をとどめる2つの石碑が建立されている地を、「東京陸軍少年飛行兵学校跡地」として市の文化財(旧跡)に指定しました。平成21年3月
武蔵村山市教育委員会