旧陸軍糧秣支廠倉庫の一部
今回は広島県広島市南区宇品西にあった「旧陸軍糧秣支廠倉庫の一部」だべ
レンガの一部だけが残されています!
広島県広島市には、現:広島港と呼ばれる宇品港がありました。
宇品港は戦地へ物品や兵などを外地に送り出す役割を担っていました。
現在の広島駅から宇品港までは軍用鉄道が整備され、広島市内は軍事施設も多く建てられ、現在でもいくつかの施設の跡が残されています。
宇品港周辺には兵や軍馬の食料や飼料の調達などを行った広島陸軍糧秣支廠の倉庫が建てられました。
「旧広島陸軍糧秣支廠建物跡」の設置看板より引用
明治27年(1894年)の日清戦争の際、広島は、同年の山陽鉄道の開通や宇品港の存在を背景に、大陸への派兵基地として重要な役割を果たしました。これを直接のきっかけに、広島は軍事都市としての性格を強め、明治31年(1898年)の軍用水道を手始めに、市内に数多の軍事施設が建設されました。
昭和62年3月
広島市教育委員会
旧広島陸軍糧秣支廠倉庫(爆心地から約4.6㎞)
案内板より引用
被爆建物
この建物は、1910年(明治43年)、軍需物資を保管するため宇品駅プラットホームに沿ってレンガ造で建てられました。
1997年(平成9年)、広島南道路の整備にあたり建物は取り壊されましたが、かつて宇品地域には被爆建物として、旧広島陸軍糧秣支廠・缶詰工場(現広島市郷土資料館:明治44年3月竣工 施行:合資会社大林組)及び付属建物など30数棟が在りました。
よって旧広島陸軍糧秣支廠倉庫の一部を「歴史の継承」として、ここ大林組宇品スクエアに保存するものです。