名称 | 芳魂之塔 | |||
住所 | 〒905-0504 沖縄県国頭郡伊江村字西江前32 |
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解説 | 1951年に建立された慰霊塔。 伊江島の戦いで亡くなった軍人・市民約3500名あまりが合祀されています。 塔には名嘉元浪村の歌が刻まれている。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
✅芳魂之塔
戦時中、伊江島でも激しい戦闘が行われました。
当時、伊江島には平坦な地形を利用し、帝国陸軍によって飛行場が建設されました。
島には防衛隊も置かれ航空部隊の要地とされていましたが、それ故に米軍の攻撃の標的となり激しい攻撃を受けました。
伊江島での米軍上陸戦闘は1945年4月16日から21日までの5日間にかけて行われ、戦闘によって伊江島は焦土と化しました。
戦闘の中で臣民・軍人合わせて3500名が命を落とし、「芳魂之塔」に合祀されています。
芳魂之塔
Houkon Memorial Tower
沖縄戦の中でも激戦地として知られる伊江島戦では、伊江島地区隊、第二歩兵隊第一大隊、独立速射砲一個中隊、独立機関銃一個中隊、第50飛行場大隊、第502特設警備工兵隊、独立整備帯、野砲小隊、さらに地元の伊江島防衛隊、伊江島青年義勇隊、伊江島女子救護班、婦人協力隊が戦闘に参加し犠牲となった。守備軍将兵約2000人と住民約1500人を合わせ3500人余りの尊い人命が失われ芳魂之塔に合祀されています。
芳魂之塔は、伊江村民と国頭郡各町村の遺族の皆様からの浄財により1951年4月20日に建立された。塔名の文字は、当時の沖縄群島知事平良辰雄氏の書である。建立から長年を経て老朽化したことから、2001年3月に境内の拡張並びに塔の建替え、また、塔に向かって右側には礎が併設された。礎には村外での戦没者も刻銘されています。
伊江島占領が宣言された日の4月21日には慰霊祭が行われ、1977年に33回忌を終える。翌年1978年からは世界平和を祈念して「平和祈願祭」と称し、毎年多くの遺族の皆様が並列して行われています。
この塔には、「ひねもすを とどろとどろと 潮騒の 声をまくらにここだくも 眠れる霊の 夢まどかならむ」という名嘉元浪村の歌が刻まれている。
《案内看板より引用》
芳魂之塔は児童公園の隣にあり、東屋などの休むスペースもあります。
塔の隣には平和祈念公園にある「平和の礎」のような碑が建てられています。