名称 | 歩兵第八十九連隊玉砕終焉之地 | |||
住所 | 〒901-0323 沖縄県糸満市字新垣 (Googlemap:26.119695, 127.699855) |
|||
解説 | 歩兵第89連隊の金山隊長以下将兵が自決した場所。碑の近くに柵がされているが壕は残っている。夏場は碑までの道が雑草で見えないので、ハブなどが脅威である。 | 難度 | ||
C (季節によっては危険) |
パームヒルズゴルフクラブ横の道を走っていると、古い棒状の案内看板があります。
車一台しか通れない道を進んでいくと何かの建物に行きつき行き止まりです。
道沿いには全く案内看板がなく、グーグルマップの位置方向を見ていると辛うじて獣道になっている場所を発見。
✅入り口
何かなければ絶対入らないであろう場所です。
9月半ばと訪問した日も悪かったですが、周囲には雑草伸び放題だし、車の窓開けてたらハエが何十匹も入ってきました…
✅参道
碑のある場所までは本来であれば参道があるようですが、雑草が伸びすぎて参道がどこか全く分かりません。
仕方ないので石の位置を確かめながら少しずつ進んでいきます。(足を踏み外して一回コケた)
沖縄だからハブの心配はもちろんですが、雑草生え放題の時期は足元も見にくいのでサンダルとか半ズボンで来るのは危険です。
そして、ひっつき虫(センダン草)が服に大量につくことも覚悟した方がよいでしょう。
✅歩兵第八十九聯隊玉砕終焉之地
✅軍旗奉焼之地
✅碑の前から辿った道を望む
✅歩兵第八十九聯隊 連隊長 金山均 大佐 自決の壕
歩兵第八十九聯隊 沖縄戦々跡
聯隊長 金山均 大佐 自決の壕昭和二十年、沖縄本島をめぐる日米両軍の攻防は、五月初旬第32軍が総力を傾けた首里戦線の死闘も空しく終に軍主力を南部島尻地区に後退戦闘の持久を図る。歩兵第八十九聯隊は八重瀬、与座、両缶南西山麓に陣地を配備、其の後方新垣後原(此の壕内)に聯隊本部を置き第二十四師団前衛の任に当る。然れども空海を制する米軍の進行は早く六月十五日東西全戦線を蹂躙(じゅうりん)突破、指揮下部隊との連絡も途絶、聯隊の命運旦夕に迫る。
六月十九日金山聯隊長は愈々最後の時を決断、軍旗を奉焼し師団司令部に決別を打電、所在の児玉工兵聯隊長と共に自決す。また聯隊本部に所属せる鈴木少佐ほか多数の將兵も生存皆無の為、同日を相前後し全員壕内外で自決若しくは戦死と認められ歩兵第八十九聯隊は茲(ここ)に悲運の幕を閉ずる。
戦後の調査によると此の壕は、師団工兵隊構築による坑道式陣地壕で全長概ね八十余米、米軍制圧後は延々十余日に亘り燃え、内部の全てが灰燼と化した事は遺族にとり洵に断腸の思いである。
依って本壕は、肉親玉砕の聖地たる意も含め沖縄戦を語り継ぐ貴重な歴史戦跡として長く後世に遺すべく此の銘碑を建立する。平成十五年十月三十一日
歩兵第八十九聯隊顕彰碑奉賛会
関係遺族 支援有志一同
✅壕内部
第二十四師団歩兵第八十九連隊は北海道の旭川にて編成され、沖縄戦では主力部隊として戦いました。
運玉森にて米軍と交戦後、首里防衛線、南部撤退後は糸満市字新垣にある、この壕を陣地壕として戦いましたが、米軍の取り囲みと馬乗り攻撃から最期を悟って連隊長は自決しました。