亀ヶ首試射場跡の土堤・隠場
今回は広島県呉市倉橋町に残る「亀ヶ首試射場跡の土堤・隠場」だべ
亀ヶ首試射場は呉海軍工廠の砲弾発射試験場です!
亀ヶ首発射場は1900年に日本海軍により建設された大砲の試験などを行った施設です。
広島県呉市にある倉橋島東端にあり、アクセスに難ありな場所です。
呉海軍工廠の施設の一つで、元々は市街地に近い鍋山付近にありましたが、試験を行う上で遮蔽物が無い事や機密保持がしやすいことなどから条件の良いこの場所へ移ってきました。
この地で試験されていたこととして、砲弾の貫通力・鉄板の耐弾性能・弾丸の爆発力・弾丸の破壊力・弾丸の素材の開発などが挙げられます。
亀ヶ首発射場跡
現地案内看板より引用
明治33(1900)年、海軍は倉橋島の東端に位置する亀ヶ首に大砲の発射試験場を整備しました。亀ヶ首を選定した理由について、海軍は大砲の発射を行う上で危険になる障害物が無く、発射試験場として適しているという点を挙げています。
亀ヶ首発射場は、大口径砲を中心とする兵器の国内製造の実現に重要な役割を果たしました、昭和6(1931)年7月には、大砲の大口径化を受けて大規模な改造工事が実施されており、大和型戦艦に搭載された46センチ砲の試験も亀ヶ首発射場で行われています。
戦後、主要施設の多くが破壊されましたが、現在でも烹飯所・測定所・検速所等の跡やトンネル・突堤・水槽・井戸・ガントリークレーンが設置されていたとされる石積岩壁等が残されています。
日本遺産「亀ヶ首発射場跡」土堤・隠場(退避壕)
現地案内看板より引用
亀ヶ首発射場は、土堤により危険区域と非危険区域に分けられていました。
また、土堤の内部には、実験の際に退避するための隠場(退避壕)や、事務所・電話室・観測所・側圧室・信管調整室等が設けられており、事務所では、発射場全般の事務や記録作業を行っていました。
土堤は、明治39(1906)年に整備されましたが、大砲の大口径化に伴い事故が多発しており、死亡事故が発生するとともに非危険区域の建物に被害が生じていました。
呉鎮守府は、発射場内の安産を確保する目的として、度々土堤の増築工事を実施しています。
かつて築かれた土堤でしたが現在は崩壊が進んでおり、退避壕などの内部にも土が流れ込んでいます。
また、かつて土堤を登る為に設置されたと思われるコンクリート階段やその他のレンガ遺構も、土堤の崩壊によって大きく露出しています。