大阪城の堀にある水道管
名称 | 大阪城の水道管 | |||
住所 | 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1−1 |
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解説 | 大阪城の西の丸庭園近くの堀にかかる水道管。 明治時代に敷設された水道管で、大阪砲兵工廠により造られた水道管が使われている。 現在も現役で使用されている。 |
難度 | ||
A |
今日は大阪城内にある「堀にかかる水道管」だべ
ポチ太郎
ハチ公
ただの水道管じゃないんですか!?
大阪城内を歩いていると、周囲の景観に似合わない水道管が堀にかかっています。
なんでわざわざ出しておくのか?という疑問が浮かびますが、意外にもこの水道管はとても歴史のある水道管なのです。
この水道管の歴史は明治時代まで遡ります。
当時の大阪の家庭用水は川や井戸に頼っていました。
しかし、明治に入り増加した生活排水が流れ込んだ結果、水質汚濁が発生してコレラなどの感染症が流行しました。
そのため家庭用の水を引くための上水道を、大阪城北部にある桜ノ宮から送水、大阪城の配水池に水を貯めて各家庭に水を送水しました。
大阪城は「周囲よりも高い場所にある」という地形を活かして、家庭に送水する時にはポンプなどを使用する必要がありませんでした。
✅堀にかかる2本の水道管
使用されたパイプは「大阪砲兵工廠」で造られたパイプでした。
大阪砲兵工廠は明治初期に源流をもつ軍需工場で、大阪城東側に太平洋戦争末期まで存在しました。
日本軍が使用する大砲を造っていたことはもちろん、民間からの要望にも応え物品を製造していました。
この水道管もその一つで、大阪砲兵工廠の高い技術力が活かされ、現在でもこの水道管が現役で使用されています。
また、大阪砲兵工廠が本業の軍需産業に忙しくなった時、その生産を引き継いだのが「クボタ」でした。
この「クボタ」は現在でも「株式会社クボタ」として農業用機械などで知られているメーカーです。
現在でも「水」関連の事業は継続しており、ダクトタイル鉄管などの製造は行われています。
このクボタが研究を重ねて、大阪砲兵工廠に続き国内生産のパイプ大量生産に成功しました。