今日はシムクガマだべ!

ポチ太郎

ハチ公
チビチリガマと同じ読谷村にあるガマですね!

沖縄本島中部の読谷村にシムクガマがあります。
読谷村は沖縄戦において米軍の上陸地でもあり取り上げられることも多く、また近くにあるチビチリガマとは対比されることも多いです。
シムクガマには千人近くの波平区(なみひらく)の方が避難していました。

大通りから外れた以下の場所にシムクガマへの道があります。[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3573.6367455152877!2d127.72967531465056!3d26.402920983349755!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x0%3A0x0!2zMjbCsDI0JzEwLjUiTiAxMjfCsDQzJzU0LjciRQ!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1545408617475&w=600&h=450]
米軍がシムクガマに近づいてくると内部はパニックになります。
しかし、ガマ内にいたハワイ帰りの比嘉平治と比嘉平三の二人の説得・米軍との交渉によりガマ内部の人々を救助することが出来ました。
このシムクガマは「イリシムク」と呼ばれたりもします。
「イリ」は’’西’’という意味で「西のシムクガマ」になります。
これに対してシムクガマ(イリシムク)の東の方には「アガリシムク」があります。
「アガリ」というのは’’東’’という意味で「東のシムクガマ」ってことになります。
アガリシムクには約60人程の住民が避難していました。

獣道を5分ほど進みます。足場は滑る所があったりとよくありません。

ポチ太郎

ハブに注意

ポチ太郎


ガマが見えてきます。中央の碑は「救助洞窟之碑」です。

ポチ太郎

ガマの中に川が流れ込んでいます。雨の後は増水などの危険もあるので注意です。

ポチ太郎

入ってすぐの左側。あまり奥行はなさそうです。

ポチ太郎

入って正面はずっと奥まで続いているようですが、案の定真暗です。スマホ程度のライトでは無意味。

ポチ太郎