嘉手納町と読谷村は比謝川が境となっており、その読谷村側は渡具知という地名になっています。この渡具知には整備された渡具知ビーチがある他、泊城公園という公園があります。この公園は駐車場などもしっかりとあり、国道から少し外れた場所にあるので分かりにくい割には夕方には夕日を見に多くの人が訪れています。
公園の駐車場から徒歩5分ほどの高台にあるのが、「米軍上陸の地碑」です。
木々の拓けている碑からは、比謝川と嘉手納町の海岸線を一望することができます。
勿為沖縄戦場
1945年4月1日米軍は読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。
沖縄戦は鉄の暴風といわれ、一木一草焼き尽くし、緑豊かな故郷は、がれきと化し、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦であった。
かつて経験したことのないこの戦争は島の文化と人々の平和な暮らしと多くの尊い人命を奪った。この美しい海岸が二度と再び如何なる軍隊の上陸の地ともならないことを村民は祈念する。
太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を期してこの碑を建立する。1995年12月
沖縄県読谷村
1945年4月1日午前8時半頃、米軍が沖縄本島西海岸からの上陸作戦を開始しました。この本島上陸作戦を足掛かりとして、ゆくゆくは日本本土攻略作戦へ繋げていきたかった米軍は「アイスバーグ作戦」と名づけて周到な準備の下に作戦を開始しました。
船舶は約1500隻、兵員は約18万弱、補給部隊を含めると50万人を超える米軍人に対して、日本軍の兵員は約11万人でした。
上陸の際には必要に艦砲射撃を行った上での上陸作戦を行い、日本軍からの攻撃もなく無血上陸となった。