黒しばわんこの戦跡ガイド

渡嘉敷村渡嘉敷にある「白玉之塔」

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白玉之塔

名称 白玉之塔
住所 〒901-3501
沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷
解説 沖縄戦において米軍の沖縄本島上陸は1945年4月1日ですが、それより少し早くに渡嘉敷島を含む島々で構成される「慶良間諸島」には1945年3月26日・27日に上陸した。
艦砲射撃と上陸する敵兵に軍民共々混乱し、山中などに避難した。
塔には大東亜戦争及び沖縄戦での戦没者、594名(平成20年3月1日時点)の名前が記載されている。
難度
A (行きやすい)



今日は沖縄県の渡嘉敷島にある「白玉之塔」だべ
ポチ太郎
ポチ太郎

ハチ公
ハチ公
渡嘉敷集落近くの山中腹にあります!

沖縄戦において、敵兵の沖縄本島上陸は1945年4月1日の読谷村付近からということは知られています。
しかし、それよりも前に上陸作戦が行われていた場所があります。

那覇から西に約30㎞程の場所にある慶良間諸島
渡嘉敷島・座間味島・阿嘉島などを中心とした大小約20の島で構成される「慶良間諸島」は、那覇の泊港から高速船で最短約30分という好立地であることや、世界でも有数の美しさを誇る海「ケラマブルー」を見に来る国内外からのダイビング・シュノーケリング客が訪れる場所です。
現在の島々からは想像できないことは、沖縄戦においては沖縄本島に先駆けた1945年3月26日・27日に敵軍の上陸作戦が行われ阿鼻叫喚の様相を呈したことです。

前述した通り、沖縄本島の読谷村付近からの上陸は1945年4月1日、慶良間諸島への上陸作戦はそれよりも約一週間早い3月26日から2日間にかけて行われました。
正確には3月23日頃から上陸に先駆けた敵艦船からの艦砲射撃は行われています。

「敵兵は沖縄本島にまず上陸してくる」と日本軍は考えており、慶良間諸島に配備した海上挺進隊による奇襲作戦で敵兵の背後から一撃を与える計画でした。
しかし、計画に反して最初に慶良間諸島を攻撃され、艦船を破壊されてしまったために兵だけでなく民間人も島から出られなくなります。
奇襲に使用する予定だった特攻艇も兵隊自らの手で破壊し、兵隊・民間人は山々に逃げ込みました。

敵兵の捕虜となることは恥ずかしい事、捕まれば殺されたり凌辱されるといった噂が人々には流れ、「敵軍に捕まるぐらいなら…」と自ら死を選ぶ集団自決も起こったとされています。
「白玉之塔」がある渡嘉敷島では「北山(ニシヤマ)」のフィジガー付近で集団自決があったとされています。
渡嘉敷集落から国立沖縄青少年交流の家へ向かう途中にある「白玉之塔」には、大東亜戦争及び沖縄戦の戦没者594名(平成20年3月1日時点)の名前が刻まれております。

渡嘉敷集落から国立沖縄青少年交流の家へ向かう途中、右側に「白玉之塔」があります。
短い参道を進むと塔が建立されています。

✅白玉之塔

塔の名称は公募で決められ、渡嘉敷村字渡嘉敷の中井盛才氏による「白玉之塔の詩」より採用されました。

白玉之塔の詩
忘れじと
思う心は白玉の
塔に託して
永久に伝えん

塔の横には謎のマネキンが置かれています。
これに関してはよく分かりません。

✅白玉之塔からの景色

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