黒しばわんこのおさんぽガイド

白梅之塔横にある「下の壕」

calendar


ポチ太郎
白梅之塔の横に壕があるさ。山部隊第一野戦病院壕として使われてたべ

ハチ公
白梅学徒隊は県立第二高等女学校の生徒でしたね!学校は那覇市松山付近にありましたね!

白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)

沖縄県立第二高等女学校の前身は、1905年(明治38年)那覇市に設立された女子講習会(同年私立那覇女子技芸学校となった)で、その後変遷を経て、1928年(昭和3年)に沖縄県立第二高等女学校になりました。
1945年(昭和20年)3月24日、生徒たちは東風平村(現八重瀬町)富盛の八重瀬岳に置かれていた第二四師団第一野戦病院に配置されることになりました。
生徒の仕事は、負傷兵の看護や手術の手伝い、水汲み、飯あげ、排泄物の処理、死体埋葬などでした。
その後、5名の生徒が具志頭村(現八重瀬町)新城の自然洞窟(ヌヌマチガマ)の新城分院に配置されましたが、米軍が迫ってきたため、6月3日、分院は閉鎖されました。
6月4日、病院長から野戦病院の解散命令が下され、生徒達はそれぞれ数名ずつ班をつくって南部へと向かいました。
6月9日、一部の生徒は国吉(現糸満市)に到着。18日に国吉一帯で米軍による猛攻撃が始まり、辺りは一大殺りく場と化し、21日と22日に壕が馬乗り攻撃を受け、多数の死傷者を出しました。
国吉に行かなかった生徒たちは、砲弾が炸裂する中で死の彷徨を続け、ほとんどの生徒が6月下旬に米軍に収容されました。

平成28年3月 沖縄県子ども生活福祉部平和援護・男女参画課

白梅之塔に隣接している南禅廣寺とかいた拝所です。この左に白梅学徒隊がたどり着いた壕があります。


「白梅之塔」の横にある「下の壕」は山部隊第一野戦病院壕として使われました。第一野戦病院壕本部は八重瀬岳の麓にありましたが、戦場が南部に移ってきた頃、本部は閉鎖されて下の壕に移りました。
この下の壕には負傷兵の手当てが行われ、解散命令を受けてさまよう中たどり着いた白梅学徒隊16人も、6月9日からこれを手伝うことになりました。この頃には病院としての機能はほぼ失われており、包帯交換や飯あげ、排泄、水汲みなどの作業しかありませんでした。

その後、6月下旬になってくると戦線を突破してきた米軍に馬乗り攻撃をされるようになります。壕内には火炎放射や手榴弾が投げ込まれ学徒隊からも10人の犠牲が出ました。

この記事をシェアする

コメント

コメントはありません。

down コメントを残す




ポチ太郎

ポチ太郎

外出大好きなアラサー男です。
趣味で楽器とかサバゲー、運転して仕事のストレス解消!