広島陸軍糧秣支廠倉庫跡
今回は広島県広島市南区宇品海岸に残る「広島陸軍糧秣支廠倉庫跡」だべ
今は壁の一部が残っているんですね!
広島市中心部から南にいくと「広島港」があります。
現在、広島港からは厳島神社のある「宮島」や、海軍兵学校のあった「江田島」などに向けたフェリーの出発地になっています。
今でこそ広島港と呼ばれていますが、戦中まで遡ると「宇品港」と呼ばれていました。
宇品港は太平洋戦争中、海外への物資海上輸送に利用されていました。
1894年、日清戦争が始まった頃は「山陽鉄道」という鉄道路線が走っており、現在の広島駅はその時点で最西端の終点でした。
その後、広島駅から宇品港へ物資を輸送するために軍用鉄道が敷設されることになりました。
宇品港近くに「宇品駅」が建設され、物資を保存する倉庫がプラットフォームに隣接した場所に建設されました。
この倉庫は「広島陸軍糧秣支廠」により使用されました。
「糧秣廠(リョウマツショウ)」というのは、兵士の食糧や軍馬の餌を調達したり、保管、補給する役割があります。
東京に本廠、大阪府や北海道には支廠がありました。
陸軍糧秣支廠は、戦時において必要な兵隊の食糧や軍馬の飼料を調達、補給するために設置されました。
案内看板より引用
1894(明治27)年に日清戦争が始まると、当時山陽鉄道の西端であった広島駅とここ宇品を結ぶ軍用鉄道を二週間あまりの突貫工事により完成させ、宇品港は第二次世界大戦が終結するまで陸軍の海外への輸送基地となりました。
この倉庫は、1910(明治43)年頃、軍需物資を保管するため、宇品駅のプラットフォームに沿ってレンガ造りで建てられました。
1945(昭和20)年8月6日の原爆による被害は、爆心地から離れていたため、軽微にとどまり、傷ついた大勢の被爆者はこの付近の陸軍の関連施設に収容され、手当てを受けました。
戦後、日本通運株式会社に払い下げられ、倉庫として利用されてきましたが、1997(平成9)年、広島南道路の整備にあたり、被爆建物として歴史を後世に伝えるため、その一部をモニュメントとして保存するものです。
1997年に広島南道路が整備されたことを契機に、倉庫跡は一部を残して撤去されました。