名称 | 旧陸軍気球連隊格納庫跡 | |||
住所 | 〒263-0015 千葉県千葉市稲毛区作草部1丁目33−34 |
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解説 | 気球連隊が使用していた倉庫で、現在は民間企業に払い下げられている。 屋根に焼夷弾の痕が確認できる。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
✅旧陸軍気球連隊格納庫跡
今日は千葉県千葉市稲毛区にある「気球連隊格納庫跡」だべ
ポチ太郎
ハチ公
風船爆弾を飛ばした部隊です!!
日本における軍用気球の始まりは西南戦争に遡ります。
とは言ったものの、この段階では実験をしたのみで実践投入される前に戦闘が終了しました。
実践投入は日露戦争でした。
旅順港に要塞を構築していたロシアとの旅順陥落戦において軍用気球が使用された。
臨時気球隊により打ち上げられた軍用気球は偵察任務に成功し、この成功から臨時気球隊を元に陸軍気球隊が設置されました。
一時は埼玉県の所沢飛行場に移りましたが、千葉県千葉市の作草部に移動し陸軍気球連隊となる。
射撃観測などに活躍していた気球も戦闘の主役が航空機となってくると、気球の出番は大幅に減少しました。
気球にできることは航空機にできてしまうからです。
日の目を見ない日が続いた気球ですが、戦争末期の1944年頃になると気球を使ったアメリカ本土爆撃が計画されました。
秘匿名称「ふ号兵器」とも呼ばれた和紙で作られた気球は、第9陸軍研究所(登戸研究所)により研究され、日本各地から選ばれた和紙が使用されて作られました。
茨城県大津、千葉県一宮、福島県勿来(ナコソ)の三カ所から打ち上げられ、米国に到達もしているようですが確実な被害はわかっていません。