名称 | 国頭支隊本部壕・野戦病院跡 | |||
住所 | 〒905-0222 沖縄県国頭郡本部町字並里 |
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解説 | 本部町の八重岳の山中にある壕と野戦病院の跡地。 伊江島と本部半島の防衛に従事した国頭支隊(宇土部隊)が使用していた本部壕が残っている。 |
難度 | ||
C (草むらの中にある) |
本部半島の中央に「八重岳」という山があります。
この山は標高453mもあり、沖縄本島においては国頭村にある与那覇岳に次いで2番目の高さのある山です。
沖縄戦時には「伊江島・本部半島の死守」を任務としていた「国頭支隊(宇土部隊)」が八重岳に陣地を築いていました。
現在、国頭支隊の本部壕跡が八重岳中腹に残っています。
国頭支隊は隊長の宇土武彦大佐であることから「宇土部隊」とも呼ばれます。
大分・鹿児島・宮崎・熊本・沖縄といった九州を中心とした県出身の将兵により構成されており、その任務は「伊江島の防衛」と「本部半島の防衛・攪乱」でした。
本部半島からフェリーで30分ほどの場所にある「伊江島」は陸軍により造られた飛行場がある重要な場所でした。
そのため、伊江島は米軍からの攻撃も激しく、1945年4月16日から5日間にわたって米軍上陸作戦があり「伊江島の戦い」が起きています。
そんな重要拠点である伊江島と本部半島に米軍を釘付けにすることによって、本島中・南部に展開する隊がスムーズに作戦が遂行できるようにしようとしました。
✅宇土部隊本部壕・野戦病院跡地
現在は草木が生い茂っています。
中央の沢を境に本部壕と野戦病院が造られていたようです。
前回は草が生えすぎて壕の場所もわからず、草に分け入るのも危険を感じましたが、今回は草もそこまで生えていないので壕を探します。
探してみると写真右上部分に壕跡がありました。
✅壕跡
なぜか壕までは道が出来ています。
調査などが行われているのでしょうか?
✅壕入口
入口は這いつくばれば入れるくらいの大きさとなっています。
ポロシャツに7分ズボンに島草履のため、這いつくばる装備でないので入口から中を見てみます。
✅壕内部
入口からすぐ、右に道が折れているようです。
内部の方は天井も少し高くなっているように見えますが膝立ちも厳しそう。
✅沢を挟んで反対側にも…
振り向いてみると沢を挟んで反対側にも壕口が確認できました。
✅もう一つの壕入口
こちらの壕口は屈めば入れるくらいの高さがあります。
✅こちらは奥行がない壕
入ってみると2mくらいの奥行しかなく、他の壕に繋がっているということもなさそうでした。
もしくは、崩落によって道が閉ざされてしまっただけかもしれません。