名称 | 沖縄陸軍病院山城本部壕,サキアブ | |||
住所 | 〒901-0352 沖縄県糸満市字伊原279 (Googlemap:26.089155, 127.686472) |
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解説 | 沖縄方面第32軍直属の陸軍病院本部がおかれたガマ。 砲弾の直撃により、病院長や職員、ひめゆり学徒隊の生徒が死傷、本部機能が失われてからは周辺にある別の壕に本部機能は分散して移された。 「沖縄陸軍病院之塔」が建立してある。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |
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沖縄県糸満市字伊原の山城集落の東にかつて病院壕として利用されていたガマが残っています。
沖縄を守備していた「第32軍」直轄の病院「沖縄陸軍病院」に使用されたことから「沖縄陸軍病院本部壕」や「沖縄陸軍病院山城本部壕」、周辺地域の人の中には「サキアブ」と呼ぶ方もいるようです。
県道331号線から魂魄の塔・平和創造の森公園方面へ進み、畑道の中を進むとガマがあります。
ガマに隣接して、「沖縄陸軍病院之塔」と元軍医であった長田紀春(ナガタキシュン)氏が詠んだ歌碑が建立されています。
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沖縄戦において南部に戦線が移ってくると、それに合わせて負傷した兵を救護する病院壕も南部のガマへ移ってきます。
この壕は陸軍病院の本部として使われていましたが、1945年6月14日の爆撃によって病院長をはじめとし衛生兵や従軍していたひめゆり学徒隊の生徒が戦死しました。
失われた本部としての機能は近くにある伊原第一外科壕や現在「ひめゆりの塔」があることで知られている伊原第三外科壕に分散されます。
✅沖縄陸軍病院之塔
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沖縄陸軍病院勤務の関係者43名を祀られています。
✅元陸軍病院軍医「長田紀春」氏の詠んだ句
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✅山城本部壕内部
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壕口から池付近までで約30m程あります。
沖縄陸軍病院山城本部壕(山城本部壕)
おきなわりくぐんびょういんやまぐすくほんぶごう地元ではサキアブと呼ばれている自然洞穴です。すり鉢状の窪地部分から中に入ると、壕口のある広場と奥の広場の二つに分かれています。
1945年3月、米軍の猛攻撃や艦砲射撃が始まると山城の住民の一部がこのサキアブに避難しました。
5月下旬、南風原にあった陸軍病院が南部に撤退し、この場所を病院本部壕とし、第一外科壕、第三外科壕を伊原に、第二外科壕を糸洲におきました。陸軍病院には、沖縄師範女子部と県立第一高等女学校の学徒とも配属されていました。
廣池文吉病院長以下の首脳陣らは、伝令や命令受領者を通じ分散した各外科壕を統一しましたが、撤退後は病院としての機能はほとんど失われていました。
6月14日、本部壕入口付近に落ちた直撃弾によって、廣池文吉病院長をはじめとする兵士や学徒の多くが戦死または負傷しました。6月18日、沖縄陸軍病院は解散となり、病院勤務者や学徒らは、米軍の激しい範囲攻撃の中をさまようことになりました。糸満市
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✅壕の周りは木々に覆われています
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✅壕入り口
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入口からの光が届くホールと、更に奥に光の届かないホールによって構成されているガマです。
ガマの奥には水が溜まって池のようになっています。
壕口付近のホールには「衛生材料置き場」や「炊事場」がありました。
衛生材料とは、医療に使用する使い捨てのマスクや脱脂綿、ガーゼ、手袋などです。
また、この壕口付近のホールに艦砲弾が直撃し、廣池病院長をはじめとした多数の死傷者が出ています。
奥のガマには池の横に院長室がありました。
室といっても部屋があるわけではないので、院長用スペースがあったと表した方がしっくりきます。
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http://vr-remains.kur0s1ba-wank0.com/cave/itoman-yamagusuku/