沖縄陸軍病院山城本部壕
名称 | 沖縄陸軍病院山城本部壕,サキアブ | |||
住所 | 〒901-0352 沖縄県糸満市字伊原279 (Googlemap:26.089155, 127.686472) |
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解説 | 沖縄陸軍病院の本部があった。 艦砲弾が直撃し、病院長が亡くなると本部機能は周辺の外科壕などに移された。 サキアブ内には水が溜まって池のようになっている。 |
難度 | ||
A (行きやすい) |


沖縄県糸満市内の山城集落の東側には、地域住民が避難していた「サキアブ」と呼ばれるガマがあります。
沖縄戦の末期には、南風原より南部撤退してきた沖縄陸軍病院本部の勤務者が避難してきます。
引き続き傷病兵の対応をこの場所で行ったことから「陸軍病院本部壕」とも呼ばれています。
地下へ続くサキアブの入口近くには病院関係者43名を祀る慰霊塔「沖縄陸軍病院之塔」が建立されています。
沖縄陸軍病院山城本部壕(山城本部壕)
おきなわりくぐんびょういんやまぐすくほんぶごう
地元ではサキアブと呼ばれている自然洞穴です。すり鉢状の窪地部分から中に入ると、壕口のある広場と奥の広場の二つに分かれています。
1945年3月、米軍の猛攻撃や艦砲射撃が始まると山城の住民の一部がこのサキアブに避難しました。
5月下旬、南風原にあった陸軍病院が南部に撤退し、この場所を病院本部壕とし、第一外科壕、第三外科壕を伊原に、第二外科壕を糸洲におきました。陸軍病院には、沖縄師範女子部と県立第一高等女学校の学徒とも配属されていました。
廣池文吉病院長以下の首脳陣らは、伝令や命令受領者を通じ分散した各外科壕を統一しましたが、撤退後は病院としての機能はほとんど失われていました。
6月14日、本部壕入口付近に落ちた直撃弾によって、廣池文吉病院長をはじめとする兵士や学徒の多くが戦死または負傷しました。6月18日、沖縄陸軍病院は解散となり、病院勤務者や学徒らは、米軍の激しい範囲攻撃の中をさまようことになりました。
糸満市
このサキアブについては以前の記事でも書きましたが、今回はサキアブの内部を見ていこうと思います。
糸満市にある「沖縄陸軍病院山城本部壕(サキアブ)」 – 黒しばわんこの戦跡ガイド |
沖縄陸軍病院山城本部壕


沖縄陸軍病院之塔



壕口


壕内部

階段を降りて行った先、まずは艦砲弾直撃場所があります。
特に案内があるわけではないので、大体の場所になります。
艦砲弾直撃地と炊事場跡


大岩が崩れ落ち、木の根が垂れ下がっています。
直撃地はもしかしたらもっと手前かもしれません。
炊事場跡には細かい瓦礫が溜まっています。
まとめられた遺品


炊事場跡の近くに遺品らしき物がまとめられていました。


急に天井が低くなっています。
少し屈む必要があります。


ロープが張られています。
ロープの先には水が溜まって池になっています。
池

天井

池の横当たりが院長室とのことです。
院長室(最奥)

最奥から入口方向

壕の奥までは40mから50mくらいあります。
池があること以外はホールのような自然壕で、地面も平坦で大きい落石もないので、懐中電灯があれば見ることができます。

