旧第4師団司令部庁舎
名称 | 旧第4師団司令部庁舎,中部軍司令部庁舎 | |||
住所 | 〒540-0002 大阪府大阪市中央区大阪城1−1 |
|||
解説 | 大阪城内に残る建造物。 1931年、天守閣と共に建設された。 西洋のお城をイメージした外観で、左右対称の造りになっている。 現在は「ミライザ大阪城」として使用されている。 |
難度 | ||
A |
大阪府大阪市中央区に「大阪城」があります。
大阪の観光スポットでもある大阪城の天守閣の前に、城の雰囲気とは合わない大きな建物があります。
この建物は「旧第4師団司令部庁舎」と呼ばれています。
「旧第4師団司令部庁舎」は1929年、昭和御大典記念事業として計画され、1931年に崩壊していた天守閣と共に建造されました。
この建物は西洋のお城を参考に設計されており、左右対称の造りとなった鉄筋コンクリート製の建物です。
戦禍を乗り越えた現在は、「ミライザ大阪城」として使用されています。
✅旧第4師団司令部庁舎
この建物を建造したことによって、城内各地に点在していた第4師団司令部の設備・機能を集約することが出来ました。
1940年には「中部軍司令部」がこの建物に入り、第4師団司令部は大阪城二の丸へ移動することとなります。
「中部軍」は中国・近畿・中部地方といった中部軍管区内の防衛・徴集・動員を管理していた組織です。
このような「軍管区」は、1940年頃は東部・中部・西部の3管区しかありませんでしたが、終戦時には北部軍管区・東北軍管区・東部軍管区・東海軍管区・中部軍管区・中国軍管区・四国軍管区・西部軍管区・朝鮮軍管区・台湾軍管区・関東軍管区まで増加します。
大阪大空襲などの戦禍を乗り越え終戦を迎えると、GHQに接収され、接収解除後は大阪市警視庁本部庁舎・大阪府警察本部庁舎・大阪市立博物館として使用され、2017年10月からは「ミライザ大阪城」として使用が開始されました。
天守閣を見ながらショップやカフェ、レストランで食事などを楽しめる場所へと生まれ変わりました。
✅正面玄関
✅裏面
空襲では崩壊しなかったものの、痕跡がないか探してみた所、表面に削れている部分が多少ありました。
といっても、これが空襲による損傷かは断定できませんが…
✅空襲の痕跡?
中央玄関前に腰丈くらいの石柱みたいなものがあります。
昔の写真にもちょこっと写っているので、これも建設時からあるものかもしれません。