


富岡ICから車で約10分ほどの距離にあるのが、「富岡製糸場」です。
富岡製糸場は、産業の開発・発展を目指す殖産興業政策の一つとして、明治政府によって創設されました。

江戸時代200年にわたって行われた鎖国政策ですが、黒船で訪れたペリーの来航から終わりを迎えます。
江戸幕府大老の井伊直弼とペリーにより日米修好通商条約を締結、日本は世界経済に巻き込まれていきます。
世界と貿易を始めた日本のメインとなる輸出産品は生糸でした。
生糸の需要の増大から粗悪品も出回り、諸外国から品質改善のクレームと外国資本による工場建設の要望が出されます。
外貨を手に入れたい日本は改善に乗り出しますが、当時の民間企業には工場を新設する余裕もなかったため、政府主導の官営工場の建設が決められます。
記念碑

入り口からすぐの場所にあります。
世界遺産
「富岡製糸場と絹産業遺産群」群馬県では古くから養蚕、製糸、織物といった絹に関する営みが盛んで、絹産業に関する文化遺産が数多く残っています。これらのうち富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴を構成資産とする「富岡製糸場と絹産業遺産群」は平成26年(2014)のユネスコ世界遺産委員会で世界遺産一覧表に記載されました。
パンフレットより引用
富岡の地が選ばれた理由に
・養蚕が盛んであること
・広大な土地を用意できる
・既存の用水で必要な水が確保できる
・燃料に使用する石炭が近隣の高崎・吉井で確保できる
・外国人指導の工場の建設について、近隣住民の同意をもらえた
以上のことがあるようです。
創業当初は外国人指導者がいましたが、明治9年以降は日本人のみで操業されていました。
作業員として全国から集まった伝習工女が働き、技術の習得後は全国各地で指導者として活躍しています。
東置繭所

入り口から入って正面にあるのが東置繭所です。木材で作られた骨組にレンガを使った「木骨煉瓦造」という工法で建てられています。
東置繭所(社宅側)

100m以上の長さがあります。
人は絶対に乗るな

乗っちゃいけないようです。
東置繭所(2階)

二階部分の一部が見学できます。何も置かれていないということもありますがとても広い!
東置繭所(2階)

ちょっと廃墟感ある!!
東置繭所(2階ベランダ)

操糸所

東置繭所の隣にあります。蚕の繭から生糸を取る作業が行われていました。
操糸所(内部)

中央に柱のない建築工法「トラス構造」で作れらているので、障害物に邪魔されずスペースを広く使えます。
操糸所(内部)

創業当初はフランス式の繰糸器300釜が設置されていました。
首長館(ブリュナ館)

指導者として雇用されたフランス人「ポール・ブリュナ」が暮らした建物で、重要文化財となっています。
首長館(ブリュナ館)

後に従業員に読み書き・裁縫を教える場所としても利用されました。 東置繭所と同様、「木骨煉瓦造」で建てられています。
寄宿舎

敷地の南西端にあるのが寄宿舎です。従業員が暮らしていました。普通のアパートのような外観。
社宅

ちょっと偉い人が住んだ社宅です。普通のよさげな一軒家です。
社宅

ちょっとだけ偉い人が住んだ社宅。よくある長屋です。
桑畑

煙突

鉄水溜

副蚕場

ブリュナエンジン(復元機)

西置繭所の前に稼働されて展示されています。繰糸機の原動力であり、創業時にフランスから輸入されました。
世界遺産記念銘

115年間創業し続けた製糸工場は民間企業に払い下げられました。