✅那覇市の近所、浦添市にある城跡
沖縄県の那覇市のお隣の浦添市には、琉球の時代から城(浦添グスク)があり現在では「浦添城(浦添グスク)」と「浦添ようどれ」という形で残っています。
那覇市からなら30分~40分もあればアクセスできるかと思います。
浦添大公園内にあり、駐車場は公園の各所にあるので駐車場所には困らないと思います。
✅丘陵地帯に造られた城
浦添グスクは13世紀に造られたグスクで、中山(沖縄本島中部)を勢力下におく支配者の拠点と考えられています。14世紀後半から15世紀前半頃には大規模なグスクになりました。政権拠点が首里城に移った後の16世紀には、第二尚氏第三代の尚真王の長男である尚維衝が居住し、それ以降は彼の子孫が屋敷をかまえていたようです。しかし、1609年の薩摩侵入の時に焼け落ちてしまいました。
1945年の沖縄戦ではグスクのある丘陵は前田高地と呼ばれ、日本軍の陣地となったことから激戦地となり、残っていた石積み城壁などは失われました。国指定史跡 浦添城案内MAPより
✅入り口
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山肌をつたうように作られた階段。整備されていますが、やはりスニーカーなどの歩きやすい物が推奨です。クロックスで訪問して後悔しました…
✅暗しん御門
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暗しん御門(くらしんうじょう)。加工した岩盤と石積みで出来たトンネル状の通路のことですが、天井部分の岩盤は沖縄戦の際に崩落してしまい現在に至っています。ここをくぐると二番庭に繋がります。
✅中御門
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一番庭と二番庭を繋いでいるのが中御門です。門をくぐると石積みの強固さが分かりますが、同時にこれを破壊した沖縄戦での兵器というのは恐ろしいですね。
浦添ようどれは琉球王国初期の王の墓で、極楽陵ともいいます。咸淳年間(1265~1274年)に英祖王が築いたといわれ、その後、14世紀後半~15世紀前半に石垣がめぐらされました。さらに1620年には、浦添出身の尚寧王が回収し、自らもここに葬られました。ようどれの頂から墓庭へは、まず急坂の石畳道を下り、かつてはトンネル状の通路であった暗しん御門を通って二番庭にでます。そして中御門と呼ばれるアーチ門をくぐり抜けて、墓室のある広い一番庭に至ります。
墓室は岩盤に大きな横穴を二カ所掘り、前面を石積で塞いだつくりです。西室が英祖王、東室が尚寧王の墓といわれています。墓室の中には中国産の石で作られた骨を納めるための石厨子があり、仏像などが巧みに彫刻されています。去る沖縄戦で、浦添ようどれの石積は大きく破壊されましたが、戦後、琉球政府によって墓室が修復され、平成12年~17年には墓庭の石積が復元されました。
「ようどれ」とは琉球の言葉で夕凪のことで、「ユードゥリ」と発音します。琉球国中山王陵 浦添ようどれより
✅一番庭
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墓庭から向かって右側が’’西室’’で英祖王、左側が東室で尚寧王の墓と言われています。現在は門も閉ざされており、中の様子まで見ることはできなくなっています。
浦添ようどれ営業時間・情報
浦添グスク・ようどれ館大人(高校生以上)100円・子供(小・中学生)50円
浦添グスク・浦添ようどれはいつでも見学可
浦添グスク・ようどれ館は月曜日・12月28日~1月3日
駐車場:無料