黒しばわんこの戦跡ガイド

渡嘉敷島の渡嘉敷集落にある「鰹節製造工場跡」

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鰹節製造工場跡

名称 鰹節製造工場跡の煙突
住所 〒901-3501
沖縄県島尻郡渡嘉敷村渡嘉敷1728
解説 渡嘉敷島の渡嘉敷港からも程近く、渡嘉敷駐在所裏手にある。
隣には「イヒッピジャーラ」と呼ぶ小川が流れ、当時の鰹節製造では川の水が使用されていた。
煙突には機銃掃射痕が見られる。
難度
A



ポチ太郎
今日は沖縄県の渡嘉敷島に残る「鰹節製造工場跡の煙突」だべ

ハチ公
渡嘉敷駐在所裏手にあります!

かつての沖縄県の渡嘉敷島では鰹漁が盛んに行われていました。
鰹漁が行われる以前は沿岸漁業と山林の松から切り出した薪を那覇などに売っていましたが、村での生活は厳しく茅葺の家も多くありました。
鰹漁が軌道に乗り始めると村全体も豊かになり、瓦屋根の家が増えてきます。
鰹漁と鰹節製造工場の痕跡は渡嘉敷集落と阿波連ビーチにある煙突ぐらいしかありません。

1910年台から行われていた鰹漁と鰹節製造に影響を与えたのが第二次世界大戦です。
沖縄戦において、渡嘉敷島を含む慶良間諸島には沖縄本島よりも早い1945年3月26日・27日に米軍の上陸作戦が行われています。
上陸前の艦砲射撃や地上戦により渡嘉敷島の家々や鰹節漁に使用していた漁船は焼失してしまいます。
そんな激戦の中を生き残ったのが今も残っている煙突です。
表面には大きな損傷が見られ、レンガを砕くほどの機銃掃射の凄まじさが分かります。

✅鰹節製造工場跡の煙突

木の根がついています。

✅表面の損傷

終戦後、渡嘉敷島の鰹漁は米軍から船を譲り受けて復活することができました。
漁期には鰹漁、秋から冬は休漁期ですので畑仕事を行ったり、沖縄本島南部にある糸満市真栄平等でキビ刈りや芋の植え付け等で稼いでいます。
ずっと続くと思われた鰹漁でしたが、1960年頃から漁獲量が減少、渡嘉敷島北部にある赤間山にミサイル基地が造られることになり基地建設や職員として働く人が増え、漁獲量の減少と後継者不足から50年ほど続いた渡嘉敷島の鰹漁は終了することとなりました。

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ポチ太郎

ポチ太郎

戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
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