黒しばわんこの戦跡ガイド

北茨城市にある「風船爆弾放球台跡」

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北茨城市には風船爆弾を放っていた場所があるんだべ
ポチ太郎
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ハチ公
ハチ公
爆弾を取り付けて飛ばした風船型の兵器ですよね!!

太平洋戦争では銃火器や船舶、航空機などはもちろんのことですが、少し変わった兵器も使われました。
その一つに風船爆弾があります。
とはいったものの、現在のようなゴム風船ではなく、和紙を張り合わされたものでした。
戦中は物不足であったために工夫を凝らした結果、和紙になりました。

アドバルーンのような見た目であった風船爆弾には、焼夷弾と重しが吊るされており、高度が下がってくると重しを少しずつ落としていく仕組みになっていました。
これをジェット気流に乗せてアメリカ本土まで飛ばし、爆撃しようと試みました。
米国により機密情報とされたのか、実際にどのくらいの被害を出したかどうかは明確にはわかっていませんが、一般人が誤って触れてしまい爆発事故が発生したとの情報などがあります。

✅放球台跡

全長15mほどの台座には2カ所の四角い穴があります。この穴にボンベを設置していたといわれています。

✅ボンベを置いていたといわれる部分

✅風船爆弾犠牲者鎮魂碑

誤爆発事故により亡くなった方を弔う為の鎮魂碑。東日本大震災で鎮魂碑が少し破損したそうです。現在はそのままの状態になっています。

✅わすれじ平和の碑

新しい誓い
海のかなた 大空のかなたへ 消えて行った 青い気球よ
あれは幻か 今はもう 呪いと殺意の 武器はいらない
青い気球よ さようなら さようなら戦争

風船爆弾放流地跡

この辺一帯は、昭和十九年十一月から昭和二十年四月の間、アメリカ本土に向けて風船爆弾を放流させた地です。背後の低い丘と丘にはさまれ、現在は田んぼに復元されている幾つもの沢に、放球台や兵舎、倉庫、水素タンクなどが設置されていました。
これは極秘の「ふ」号作戦といわれ、放流地はほかに福島県勿来関麓と千葉県一の宮海岸、あわせて三か所でしたが、大本営直属の部隊本部はこの地にあり、作戦の中心でした。
晩秋から冬、太平洋の上空八千メートルから一万ニ千メートルの亜成層圏に最大秒速七十メートルの偏西風が吹きます。いわゆるジェット気流です。風船爆弾は五十時間前後でアメリカに着きます。精密な電気装置で爆弾と焼夷弾を投下したのち、和紙とコンニャクのりで作った直径十メートルの気球部は自動的に燃焼する仕掛けでした。
第ニ次大戦中に日本本土から一万キロメートルかなたのアメリカ合衆国へ、超長距離爆撃を実行したのはこれだけであり、世界史的にも珍らしい事実として記録されるようになりました。約九千個放流し、三百個前後が到達、アメリカ側の被害は僅少でしたが、山火事を起したほか、送電線を故障させ原子爆弾製造を三日間遅らせた、という出来事もあとでわかりました。オレゴン州には風船爆弾による六人の死亡者の記念碑が建っています。ワシントンの博物館には不発で落下した風船の一個が今も展示され、深い関心の的になっています。
しかし戦争はむなしく、はかないものです。もう二度とくり返さないように努めましょう。この地で爆発事故のため、風船爆弾攻撃の日に、三人が戦死したことも銘記すべきでしょう。永遠の歴史の片隅で人目を忍び、いぶし銀のようにささやかに光る夢の跡です。

昭和五十九年十一月二十五日建之
碑文より引用

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ポチ太郎

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