団結道場
名称 | 団結道場 | |||
住所 | 〒905-0505 沖縄県国頭郡伊江村西江上956 |
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解説 | 戦後の沖縄において米軍により土地を接収され、補償などもなく問題となっていました。 伊江島でも例外でなく、土地の強制接収が行われ、それに対して住民が一丸となって抵抗し闘ってきた過去を伝えている。 |
難度 | ||
A |
✅団結道場
今日は伊江島に残っている「団結道場」だべ
ポチ太郎
ハチ公
米軍との抗争の証ですね!
沖縄本島北部にある伊江島に「団結道場」という建物が残っています。
緑が広がる伊江島の中で、真白な建物が目立ちます。
戦後、沖縄県は1972年まで米国民政府の管理下に置かれていました。
その中で、県内各地の農民の土地が米軍が使用するという名目で接収されていきます。
接収に対しては期限や補償も決められていましたが、期限が長いことに加え、補償金額もかなり低額になっていました。
その結果、契約に応じる農民はほとんどいませんでした。
1953年に定められた「土地収用令」では、補償金額についての交渉はできるものの、交渉自体の是非については交渉することも出来ず、それからは銃剣やブルドーザーを使用した強制的な接収も目立ってきます。
これらのことは伊江島も例外ではなく、真謝や西崎区から接収が始まります。
1955年3月11日からはブルトーザーにより住宅を破壊したり、農作物を焼き払うということも起きています。
この軍用地問題について動いていた沖縄人民党も弾圧され、瀬長亀次郎などの指導者が刑務所に投獄されることもありました。
こうした情勢の中で、1961年には「伊江島土地を守る会」が結成され、「団結道場」が建設されます。
この団結道場では、次世代の島の若者たちへ抗争の歴史と教育が行われてきました。