名称 | 忠魂碑(羽地) | |||
住所 | 〒905-1144 沖縄県名護市仲尾次 |
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解説 | 忠魂碑には日露戦争で亡くなった羽地村出身者8名の名前が刻まれていたが現在は確認できない。 1906年の招魂祭で建てられたとされる。 隣接して慰霊塔も建っている。 |
難度 | ||
A |
✅忠魂碑(手前)と慰霊塔(奥)
沖縄県名護市の国道58号線、羽地中学校付近に忠魂碑と慰霊塔があります。
国道からは階段を登った場所にあるので、車道からは分かりにくくなっています。
この忠魂碑は1906年の招魂祭の時に建てられ、日露戦争で亡くなった羽地村出身者8名の名前が刻まれていましたが、現在では分からなくなっています。
隣接して慰霊塔も建っており、太平洋戦争で亡くなった羽地村住民とこの場所で亡くなった方への慰霊塔で、遺骨は2018年に国立戦没者墓苑に転骨されています。
✅慰霊塔(左)と忠魂碑(右)
✅忠魂碑
忠魂碑について
忠魂碑は、日清・日露戦争で亡くなった人を’’天皇に忠義を尽くした者’’として称えるため、日本各地で建立されました。
羽地村の忠魂碑は1906年(明39)に行われた招魂祭のときに建てられました。
日露戦争で亡くなった羽地の8人の名前が刻まれていましたが、今はそれを確認することはできません。
戦前の軍国主義思想の象徴として、忠魂碑の前を通る時はおじぎをし、出征兵士を見送る行事も行われていました。羽地慰霊之塔説明看板設置実行委員会 2018年制作
✅慰霊塔
羽地慰霊之塔について
アジア・太平洋戦争における沖縄戦では、ここ羽地地域でも多くの人々が戦争の犠牲となりました。
戦闘に巻き込まれなくなった人、戦後の悪い環境のなか病気になり亡くなった人がたくさんいました。
その中には羽地地域の人はもちろん、戦時下で本島北部に疎開・避難してきた他市町村の人々も含まれています。
1953年(昭28)、羽地村は現在の羽地中学校グラウンド南側の小高い丘に立つ忠魂碑の隣に慰霊之塔を建立し、収集した引き取り手のない遺骨を納めて供養しました。
1968年(昭43)には、羽地中学校グラウンド拡張のため、忠魂碑と共に現在地に移されました。
遺骨は2018年(平30)に国立沖縄戦没者墓苑に転骨されています。
現在、ここでは毎年「慰霊の日」の前に平和祈願祭が行われています。
戦後いく年が過ぎても、戦没者の御霊のご冥福を祈り、再び悲惨な戦争が起きないように、平和を誓う場所となっています。