✅日本航空館
現在では「SUBARU」というと自動車のイメージが一般的だと思われますが、SUBARUの前身は「中島飛行機株式会社」という航空機・航空エンジンメーカーです。
1917年に「中島知久平」という人物により設立されました。
中島知久平は元々は海軍大尉でしたが、「航空機」が戦力としての日の目を見る前からその可能性に気づき、海軍を辞して飛行機研究所(後の中島飛行機株式会社)を設立します。辞める程では…と思われるかもしれませんが当時の風潮は、戦艦に積んだ大砲で敵を倒す’’大鑑砲艦主義’’という考えが主流であったため、航空機に重きを置く中島の考えは海軍内では受け入れられなかったのです。
また、これからの時代は航空機は国産であるべきと中島は考えていたので、自らその先駆者となったと言えます。
失敗を繰り返しながらも、中島飛行機株式会社は航空機部門で急成長し、終戦時には225000人を雇用する企業となっていました。
✅ラビットスクーターとフォーミュラカー
堀越二郎を擁する三菱と並んで大手航空機メーカーとなっていた中島飛行機でしたが、第二次世界大戦の後の戦後処理によって社名を「富士産業(株)」に改称、財閥解体により12社に分割されます。また、それだけでなく戦後の日本をまとめたGHQによって航空機に関する研究・生産は禁止されてしまいます。
仕事が無くなってしまった技術者たちはその日その日を何とかして暮らしていましたが、米国産のスクーターを見て手軽且つ軽快な移動手段として日本でもいけるのではと考えました。当時の日本のメインの移動手段は自転車であり、鉄道も機能していなかったため早い移動手段が求められていたのです。
そんな中で1947年、富士産業から「ラビットスクーター」が発売されます。
技術者の予感は的中し、ラビットスクーターは人気を博して基幹事業となります。
ラビットスクーターやバス事業により再起した旧中島飛行機の面々は、1953年に再度結集し「富士重工業」を設立します。
2017年4月には「富士重工株式会社」は「株式会社SUBARU」となり、現在に至っています。
✅展示品
✅水平対向エンジン
現在のSUBARUの代名詞としてあげられるのは「水平対向エンジン」ではないかと思います。
1966年に発売された「スバル1000」から、現在のSUBARU車やポルシェにも使われている「水平対向エンジン」が採用されました。
水平対向エンジンはクランクシャフトを中心に左右に向かい合ったピストンが左右に水平に往復するエンジンのことで、その様子がボクサーにも見えることから「ボクサーエンジン」とも呼ばれます。
この水平対向エンジンのメリットとして、ピストンが左右にあって引っ張りあうように動く為、V型エンジンや直列エンジンと比べると振動が少なくなります。他のエンジンでは、振動の影響を軽減するためにバランスウェイトをいう重りをつけなくてはいけませんが、それを付けるのも最低限で済むために振動も少なく質量も軽いエンジンとなっています。
また、v型エンジンや直列エンジンに比べると上方向への揺れが少なく、重心も低くなるので走りに安定性があります。
そして、水平対向エンジンは横に広いエンジンなので車のデザインに与える影響が少ないことがあります。
デメリットとしてはコストが高くなってしまう事があり他のメーカーは製造しないようですが、SUBARUではフェレスターやレガシィをはじめとした全車に搭載しています。