黒しばわんこの戦跡ガイド

出水市平和町の特攻碑公園内の慰霊碑

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名称 特攻碑公園
住所 〒899-0217
鹿児島県出水市平和町135
解説 出水海軍航空基地の跡地にある公園。雲の墓標碑・陸攻隊銀河隊出撃之地碑・鎮魂 殉国之英霊碑・出水海軍航空隊無名戦士の墓等の碑の他、地下指揮壕・衛兵塔・友軍機のプロペラが残る。 難度
A (行きやすい)




ポチ太郎
今日は鹿児島県出水市平和町の「特攻碑公園」だべ

ハチ公
各種碑の他、戦争遺構がいくつかあります!

鹿児島県出水市には「出水海軍航空隊」が置かれており、現在の特攻碑公園周辺には出水海軍航空基地が存在していました。
現在では公園周辺も長閑な住宅街に変貌しましたが、公園内にはいくつかの碑と遺構が現存しています。

海軍出水航空基地の歴史

海軍出水航空基地は、第三次海軍軍備拡張計画によって昭和12年に畑、山林、宅地など数百ヘクタールの土地の買収が始められ、昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まると高尾野方面にも拡張され、基地の面積は、数百ヘクタールにも及びました。昭和16年8月中旬に本格的な戦争準備が開始されると、艦上攻撃機隊が真珠湾攻撃の準備のための訓練を行いました。この部隊は空母「蒼龍」「飛龍」に収容され、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に参加しました。
その後は練習航空隊として、昭和18年4月1日に出水海軍航空隊が開隊発足しました。
昭和19年8月15日には、飛行機の整備教育を行うために高尾野町下水流に第二出水海軍航空隊が開隊し、同19年10月には戦局の悪化に伴い出水で763航空隊(銀河部隊)が開隊しました。昭和20年3月には実践部隊と共存していた訓練中の甲飛13期練習生は、光州に移動したため、出水基地は戦闘部隊の基地として利用されるようになりました。
昭和20年2月に日本海軍は第五航空艦隊を編成し、出水にも銀河隊攻撃405・406飛行隊が配置され、昭和20年3月18日以降特別攻撃が始まり、散華された特攻隊員は200余命と言われています。
出水基地への空襲が始まったのは昭和20年3月18日、米軍空母フランクリン等から発進した艦載機によって飛行場施設や兵舎に甚大な被害を受け、4月17日・18日には大型爆撃機による攻撃で格納庫・滑走路などに致命的な損害を受け、付近の民家も被爆し、多数の使者を出しました。同月21・22日には油脂爆弾・時限爆弾の攻撃により、基地は壊滅的な被害を受け、その後も空襲は続きました。
8月1日の出水アルコール工場の爆撃を最後にアメリカ軍の空襲は終わりました。

出水海軍航空基地の歴史
昭和18年4月15日 開隊
練習航空隊として予備学生、甲種予科練等の陸練操縦教育を担当
昭和19年3月1日 鹿児島海軍航空隊卒業の甲飛12期入隊
昭和19年3月15日 国分分遣隊が設置される
昭和19年8月1日 国分分遣隊が国分海軍航空隊に昇格する
昭和20年2月11日 第一出水航空隊と改称。
出水海軍航空基地が実践基地として使用されることになり、練習航空隊は朝鮮半島の光州(クァンジュ)海軍航空隊として終戦まで訓練を続けた。
出水海軍航空基地は特攻基地として「銀河」を使用した特攻隊が進出し、天一号作戦・菊水作戦に参加した。

✅雲の墓標

’’雲こそわが墓標 落暉よ碑銘をかざれ’’

阿川弘之の小説「雲の墓標」の中の一節が刻まれています。
「雲の墓標」は京大生の主人公「吉野」と友人3人が学徒兵として特攻兵になっていく日々を日記のように綴った小説で、著者の阿川弘之自身も海軍予備学生として戦争に参加しています。
この碑の一説は、主人公「吉野」が、友人の鹿島に向けて書いた遺書の中の一節であり、小説の舞台として出水海軍航空隊も登場することからこの一文が刻まれているものと思われます。

ハチ公
意味としては、’’雲こそが私の墓標である。夕日よ、この墓標を紅に染め上げてくれ’’となります!

✅陸攻隊銀河隊出撃之地碑

「銀河隊」は出水海軍航空隊で結成された特攻隊の名称です。

✅鎮魂 殉国之英霊

出水基地からは約200名の特攻隊が南の海に旅立ちました。

✅出水海軍航空隊無名戦士之墓

✅関連書籍

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ポチ太郎

ポチ太郎

戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
2020年4月から月・水・金の更新を目指します。 [詳細]