名称 | 真壁陣地壕,寺山壕 | |||
住所 | 〒901-0336 沖縄県糸満市字真壁 |
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解説 | 糸満市真壁集落の中にあった陣地壕で、地域の呼称から「寺山壕」とも呼ばれる。 現在は真壁公園として整備されており、陣地壕の面影はなくなっている。 5か所の壕口があったが埋没し、現在は「真和の塔」が建っている。 アンティラガマやアンガーからほど近い場所。 |
難度 | ||
A(行きやすい) |
✅真壁グスク(真壁陣地壕跡)
糸満市には真壁という集落があります。
本島南部の糸満市は沖縄戦末期においては激戦の場所であり、この真壁集落は那覇などの市街地から軍部終焉の場所となった本島南端部までの中間地点にあります。
それを物語るかのように集落内には萬華の塔や山3474部隊終焉之地、砲兵山吹之塔などの慰霊碑、軍民が入り乱れたという「アンティラガマ」や「アンガー」が今も残っています。
周辺地域にも「白梅之塔」や「栄里之塔」、「山雨の塔」などの慰霊碑がこの近辺には密集しています。
そんな激戦の場所であったであろう真壁にあったのが「真壁陣地壕(寺山壕)」です。
この壕は現在は埋没しているので跡地のみが残っています。
「真壁陣地壕」があったとされる場所は今は真壁公園として整備されています。
太平洋戦争よりも前、この場所は「真壁グスク」という城がありました。
その歴史は琉球の三山分立時代まで遡ります。
この時代は沖縄本島で「北山・中山・南山」の3つの勢力が争っており、真壁グスクは南山の出城でした。
「真壁グスク」の跡地を整備したのが「真壁公園」であり、公園内の案内でも真壁グスクについての説明がされています。
しかし、沖縄戦時代の陣地壕として使用されていた説明はほぼされていません。
真壁グスク
真壁グスクは三つの郭から成るグスクで、三山分立時代に南山城の出城として築かれたといわれています。
地元では「寺山」と呼ばれ、南側のグスク入口近くには真壁神宮寺が建っています。
伝承によると、「真壁按司は白馬を飼っていた。その馬をめぐって国頭按司との間に争いが起こり、真壁按司は戦いに敗れた。忠義心の厚い白馬も主人の後を追って死んでしまったという。
のちに、真壁按司の子孫が按司の倒れた場所で霊石を見つけ、それを祀るために建てたのが真壁神宮寺の始まり」と伝えられています。
本グスクは1995年8月~9月にかけて市教育委員会によって発掘調査が行われました。調査は展望台のある一の郭を中心に行われ、堀建柱の建物跡が確認されています。出土遺物にグスク土器、外国産陶磁器、鉄器、古銭、炭化米、獣魚骨などがあり、14~16世紀に栄えたグスクであることがわかりました。城壁は一部に切石積みが用いられていますが、ほとんどは野面積みで仕上げられています。
✅城郭
かつては総延長100m以上の長さの壕に5ヵ所の壕口があるとされていましたが、現在は全て埋没しています。
✅頂上
グスクの頂上にはすぐに到達できます。
以前来た時は草が生え放題でしたが、今回は刈ってありました。
一応公園だけあって整備はされているんですね。
奥の展望台から周辺一帯を見渡すことができます。
かつては日本兵達がこの場所で一帯を監視していたのでしょうか。
✅真和之塔
ここに南方同胞援護会の助成を得てこの塔を建て永くその偉烈を伝う
昭和41年3月
財団法人 沖縄遺族連合会
「真和の塔」は駐車場横に建立されています。
駐車場には車10台くらいは停められそうなスペースがあります。