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宮古島にある「人頭税石」

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宮古島の「人頭税石」

名称 人頭税石,ぶばかり石
住所 〒906-0008
沖縄県宮古島市平良荷川取90
解説 「ぶばかり石」とも呼ばれる、胸丈程の石柱。
言い伝えでは、「背丈が人頭税石を超えた島の男女は人頭税を支払わなければならない」とされているが、現実にはこの石は人頭税とは無関係であると説明看板がある。
難度
A



今日は沖縄県宮古島市平良荷川取にある「人頭税石」だべ
ポチ太郎
ポチ太郎

ハチ公
ハチ公
「じんとうぜい」と思ったら「にんとうぜい」って読むんですね!

沖縄県宮古島市の平良港交差点から北に向かうとすぐに「人頭税石」があります。
道路上にも案内の標識がありますが、道路沿いの住宅地の一角にひっそりと建っているので通り過ぎないように注意です。

ぶばかり石(人頭税石)

平良字荷川取の海際に、人の背丈ほどの石柱が立っています。地元では、「ぶばかり石(賦計り石)」と呼んでいて、「島の人はこの石より身長が高くなったら人頭税を課せられた」という古くから言い伝えも伝わっています。この石柱については、柳田國男著「海南小記」の中でも紹介され、全国に知られるようになりました。
宮古島の近世では、数え15才~50才までの男女に税が課され、男は粟、女は布を納めました。それは苛酷な税制で、役人による税の取り立てに、人々は長年苦しめられ続けたといいます。
琉球列島には一部の地域に石柱信仰があり、この石は人頭税の史実とは無関係のようです。ただ、この石に託して人頭税による生活の苦しみを語り伝えてきた人々の声に耳を傾けることは、今を生きる私たちに必要なことでしょう。

宮古島市教育委員会

✅人頭税石

1637年、琉球王府先島(宮古島・石垣島周辺離島)に人頭税を課しました。
当時の税の納め方は現金では無く、男性は粟、女性は布で納めました。
当初はそれぞれの人口によって納める税が決められていましたが、1659年に人口に関係なく定額の税額を納めるようになり、さらに1710年には15才~50才という基準も設けられます。

当時、人頭税を納めることは島の人々にはかなりキツイことでした。
特に粟は天候にも影響される農作物ですが、そんな時でも定額の税を納めなければならず、自らの生活を犠牲に税を払う為に働きました。

税の支払いを滞らせない為に「五人組」という制度が設けられます。
これは日本史にも出てくる制度で江戸時代の豊臣秀吉の時代に生まれた制度で、近隣の家5軒ほどで一つのグループとされ、年貢が納められなかった場合に連帯責任がグループ全体に及ぶ制度です。
連帯責任となればグループ内の他の家がちゃんとやっているか気にする訳ですから、それぞれのグループ内で相互監視するようになります。

このような五人組制度が琉球列島にも取り入れられました。
五人組グループで目標の税が支払えなかった場合、そのグループの所属する村に責任が及び、村全体で目標の税が支払えない場合は島全体の連帯責任とされました。

政府としては各島を監視せずとも相互監視することができ、税金の確実な納付を促すことができるこの制度ですが、大衆にとっては堪ったことではありません。
1888年の大飢饉以降から人頭税の廃止が訴えられはじめました。
5年後の1893年には農民の生活実態を綴った嘆願書が、代表団を通して国会に提出されました。

こうした廃止運動が功を奏し、1903年に人頭税は廃止されました。
約260年の間、農民を苦しめた制度が終わりを迎えました。

ハチ公
ハチ公
この石は人頭税とは無関係だけど、人頭税を言い伝えるために役立っているんですね!

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ポチ太郎

ポチ太郎

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