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✅海軍壕公園に行くには...
前半記事もよければどうぞ↓
旧海軍司令部壕は那覇市街の南西にある豊見城丘陵の小高い場所にあります。付近は海軍壕公園として整備されていて、子供用の遊べる場所と戦跡のエリア、駐車場に分かれています。メインの駐車場には修学旅行の学生用のバスも十分停められるスペースも何台分もあり、一般の乗用車も十分な駐車スペースがあります。(公式サイトによれば100台停められるそうです。)
むしろ、営業系サラリーマンのお休み場所になっているようで、車内で休んでいる方も見受けられました笑
バスでのアクセスならゆいレールの旭橋近くにある「那覇バスターミナル」からバス36・41・101系統に乗車し、豊見城城址公園バス停からアクセスするのが良いそうです。
旧海軍司令部壕は丘の上にあるビジターセンター・資料館入り口から入っていきます。メイン駐車場に停めた場合、階段を少々上ることになります。メイン駐車場をスルーして道なりに進むと、ビジターセンター付近の駐車場に繋がっているのでそちらに停めてもいいかもしれませんね。
入り口から中へ入ると、アメリカ兵に撮影された戦中の沖縄の写真が見ることができます。不安を隠しきれない顔からアメリカ兵と笑っている顔、焦土となった沖縄など沖縄戦の現実を目の当たりにします。
写真を通り過ぎ、階段を下ると受付があります。料金は大人440円だそうなんですが、そんな中途半端な金額だったかな^^;
ゆいレールの一日乗車券を提示すると350円になるそうです。
受付を済ませると展示室があります。順路は展示室を見てからの海軍壕となっています。海軍壕へつながる階段はかなり段数も多く上るのも大変なので気が済むまで見ておきましょう。資料館には沖縄戦の年表をはじめとして、採掘で使われたツルハシや使用された医療品や薬品の瓶、銃器や槍が展示されています。また、以前紹介いたしました大田實司令官の電文説明などがあります。展示物にはもちろん触ることはできませんが、色々な方から提供を受けているようで展示数も多いので真面目に見ると結構時間がかかりますよ!
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幾重に枝分かれした通路。中はひんやりした感じです。
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部屋へ続く通路。人一人が通れるくらいの広さです。
✅戦の跡
展示室の右側には、「旧海軍司令部壕」へ続く階段があります。結構な段数を下っていくと司令部跡へたどり着きます。当時の全長は450mのようですが、現在復元されているのは300mとなっています。それでも十分長いですが…
壕内は薄暗い通路から幕僚室や暗号室などの部屋が枝分かれしているが、これが全て手掘りというのがすごいです。壁を見ると確かにデコボコと手掘り感が出ていて人間の手で作られたのがわかります。当時、これらの通路や兵員室に4000人の兵士が収容されていたため、横になることなどできず立ったまま寝てしまうなど、兵士たちに極度の疲れがあったことがわかります。様々な部屋を見ていくことのも見物ですが、幕僚達の手りゅう弾自決の跡が残っている幕僚室や、大田司令官が最期に書いたのであろう愛唱歌が書かれている司令官室も一見の価値があります。沖縄戦があったという証拠がここにはしっかりと存在しているのです。
出口の通路を進んでいくと売店の横に出て、目の前には丘からの景色が広がっています。そこからメイン駐車場はすぐです。お手洗いも用意されているので身支度を済ませて次の行先へ向かいましょう!
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通路の様子を描いた絵。休む場所が足りず立ったまま寝る兵も…
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✅沖縄方面海軍根拠地隊司令部壕
海軍司令部壕は「沖縄方面海軍根拠地隊司令部壕」と呼ぶ旧日本海軍の司令部壕です。
1944年、沖縄戦に備えて「沖縄方面海軍根拠地隊」が編成され、海軍飛行場を置く小禄村を司令部として各部隊を取りまとめていました。
米軍が上陸した後は、第32軍の指揮下となり一部は金武湾や今帰仁の運天港、遠く久米島などにも配備されました。
後に司令部は豊見城の現在の司令部壕の場所へ移り、小禄半島を中心に戦闘に参加しました。
最終的には小禄半島に上陸した米軍との戦闘により全滅したと言われています。
司令部壕は長さ約450mにも及び、この司令部壕構築の際には秘密基地としての性格上、住民は動員されず近づくこともできなかったようです。
コンクリート壁による強固な作りで、作戦室・司令官室・暗号室・医療室・発電室・下士官、兵員室などがありました。