✅千葉県佐倉市に残る戦争遺構
前回に引き続いて佐倉城址公園の記事です。
前回の記事はこちら↓
陸軍佐倉連隊兵営跡(佐倉城址公園)
今回は6~9になります。
6から9は城址公園全体から見ると大体南側部分に位置しています。
- 衛兵所跡(済)
- 兵営の便所跡(済)
- 佐倉陸軍病院跡(済)
- 兵士が文字を刻んだモッコク(済)
- 車道の碑(済)
- 佐倉兵営跡の碑
- 弾薬庫の跡
- 訓練用の12階段
- 軍犬・軍馬の墓
遺構の説明
佐倉兵営跡の碑
公園の南側、自由広場付近にあるのが連隊の記念碑です。碑の裏側にて歴代連隊長の名前が確認できます。また碑の傍には明治天皇御駐軍の記念碑もあります。
✅弾薬庫の跡
「車道」の碑から姥が池へ向かう道の途中、横道に逸れると斜面の一部が平地になっている場所があります。現在は弾薬庫は残っていませんが、使用されていた土台のコンクリートが現在も残っています。まだ佐倉に軍隊があったときには、弾薬庫には昼夜問わず歩哨が行われていました。
✅脂油庫跡
自由広場から姥ヶ池へ向かう坂の途中に無造作に建っているコンクリートの建物です。窓のないこのコンクリート製の建物には、銃の手入れ用の油を保管していました。
✅訓練用の12階段
姥ヶ池のすぐ近くの原っぱにあるコンクリート製の階段です。この階段は兵士が高所から飛び降りる練習に使用していた「跳下台(ちょうかだい)」という器具です。通常は木製が一般的なようですが佐倉の物は珍しいコンクリ製で、終戦後に取り壊す流れでしたが、解体するのが困難であることからそのまま現在に至っているようです。
余談ですがネットなどで調べると、この階段は心霊スポットであると書かれています。「この階段が処刑台に使われていた」や「12段なのに数えると13段ある」といった内容のようですが、この階段の近くには案内看板が立っておりそこには兵士が飛び降りる練習に使用したとの故が書いてあるので、少なくとも処刑台に使われていた事実はなさそうです。
✅軍犬・軍馬の墓
国立歴史民俗博物館前の駐車場の南奥にあります。
✅謎の横穴も...!!
公園内を歩いていると板で塞がれた横穴を見れるかもしれません。どういう用途で掘られた穴なのかは断言できませんが、戦中からあるとすれば防空壕として利用されていたと思います。私は歩いていてたまたま発見することができました。佐倉城址公園をネットで調べてみると、こういった穴は他にもあるようなので散歩がてら探してみるのもいいですね。
✅佐倉城址にまつわる噂
佐倉城址公園はその歴史の長さ故に様々な噂があるようです。
- 訓練用の12階段は実は処刑台に使われており、上に登っていくと首が絞められていく
- 家老の幼い娘をお守役の姥があやまって池に落として死なせてしまい、窮した姥も池に身を投じて後を追った。そのため姥ヶ池という名前になり、夜になると池から老婆のすすり泣くような声が聞こえてくるようになった
- 門衛に立っていた兵が眠気に負けうつらうつらしていると、運悪く上官にその様を見られてしまいます。上官はその兵の「槊杖(サクジョウ)」を傍らの井戸に捨ててしまいます。槊杖は銃の手入れをする兵隊にとっては命です。上官は「槊杖を取ってこい」と命令を下し、兵は躊躇いましたが上官の命令は絶対という世の中。最後は井戸に身を投げてしまいます。それから同時刻になると井戸の中から「槊杖よこせ」とうめき声が聞こえるようになった。
- ある時、一人の遊女が兵に会いに訪れました。約束をした兵士が門衛に立っている時間を狙って訪れる予定でしたが、少し遅刻してしまいます。そのため、約束をしていた兵は門衛の担当を次の兵に交代してしまいます。そんなことは知らずに遅れて遊女が門衛に話しかけます。引き継いだ門衛は遊女が訪れることなど知らないので「誰か、誰か、誰か」と問います。門衛の決まりとして、「3回問いかけて返事が無い場合は撃て」と決められていたのですが、問いかけられた遊女は約束していた兵隊がふざけていると勘違いして返事をしませんでした。結果遊女は銃で撃たれ、その亡骸は古井戸に落とされてしまうのです。それから同時刻になると井戸の中から美しい遊女の幽霊が出るようになった
調べていくと古井戸ではなく姥ヶ池だったり、内容も多岐にわたるようです。
信じるか信じないかはあなた次第ってやつですね!
ちなみに私は信じてません(笑