黒しばわんこの戦跡ガイド

シムクガマ【読谷村字波平】

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今日は、沖縄県読谷村字波平にある「シムクガマ」だべ。
ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公
集団自決のあった「チビチリガマ」の近くにあるガマですね!!

 
 
シムクガマは読谷村字波平の畑の中にある林にある自然洞窟(ガマ)です。
沖縄戦の際には、村内に存在するチビチリガマと合わせて波平区に住む住人の避難場所となっていました。
 
 

1945年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸したんだべ
読谷から北谷にかけての西海岸は、大量の米軍艦船に覆われたべ
ポチ太郎
ポチ太郎

 
 
読谷村の海岸からシムクガマまでは1200m程の距離がありますが、無血上陸して侵攻してくる米軍にシムクガマは発見されて住民らは混乱に陥ります。
このシムクガマは「アガリシムク」「イリシムク」の二つの入口で構成され、総延長は2.5㎞にもなる大きなガマなので波平区民約1000人が避難していました。
米軍が近づいてくると恐れた住民達は我先にと奥へと逃げようとしますが、すでに奥まで人がいっぱいになっています。
混乱するガマ内で二人の住民が声をあげました。
 
 
ハチ公
ハチ公
2.5㎞も洞窟が続いてるなんてすごいですね!!

一般的にシムクガマで調べてみると出てくるのは今回の入口「イリシムク」についてなんだべ
「アガリシムク」は、「イリシムク」へ向かう途中に東に向かって脇道に逸れると行けるんだべ
ただ、草木が生えすぎて「アガリシムク」の場所も分からないから未だに行けてないんだべよ
ポチ太郎
ポチ太郎

ハチ公
ハチ公
沖縄はハブがいるから気軽に雑草に踏み入ることができませんからね…

 
 
声をあげた二人の住民は「比嘉平治」「比嘉平三」というハワイ帰りの60代と70代のおじいさんでした。
そもそも、住民らはなぜ米軍から逃げようとするのかというと、捕まると殺されるという考えが浸透していたからでした。
混乱する住民達に対して「アメリカーガー、チュォクルサンドー(アメリカ人は人を殺さないよ)」と二人は説得し、遂に1000人近くの住民らはシムクガマ(イリシムク・アガリシムク)を出て命が助かりました。
 
 
ハチ公
ハチ公
ここでは住民の命が助かった一方で、600m隣の「チビチリガマ」では集団自決が起こったんですね…

うるま市にある「ヌチシヌジガマ」や「シムクガマ」など、大勢の避難民が自決せず生き残った場所では「捕虜になろう」と声をあげる人がいたかどうかだべ
当時の大衆心理は「捕虜になることは死に等しい」という雰囲気だし、同調圧力から「捕虜になろう」などと言えないような環境だったから事例は少ないだろうが…
ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公
なんにしても、多くの人が助かってよかったです!!
1990年代には二人の功績をたたえて、入口付近に「救命洞窟之碑」が建てられているんだべ
ポチ太郎
ポチ太郎
 
 
救命洞窟之碑

第二次世界大戦、沖縄上陸戦当時(一九四五年四月一日)、波平区民約一、〇〇〇人の命がハワイ帰りの故・比嘉平治氏、比嘉平三氏によって救われたシムクガマである。
終戦五十周年を記念し建立す。

一九九五年四月一日
波平公民館

 
 

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