名称 | ユナパチク壕跡 | |||
住所 | 〒905-0505 沖縄県国頭郡伊江村西江上71 |
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解説 | 伊江島の西江上団地内にある壕跡を伝える碑。 「ユナパチク壕跡」とされているが、壕からの生存者である「並里千枝子」氏の著書では「ユナッパチク壕」としている。 地下約15mの深さに、幅1.8m・高さ2m・長さ50mのトンネル状の壕があったとされる。 この壕で集団自決があったとの証言・著書がある。 |
難度 | ||
A |
✅「ユナパチク壕跡」の碑と「井戸跡」
以前から「ユナッパチク壕」という検索ワードから訪れる方がいらっしゃるようでした。
その時点ではどこにある壕だか知りませんでしたが、どうやら伊江島にあるらしい…ということでまたしても伊江島に行ってきました。
「ユナパチク壕跡」の碑があるのは、伊江島のシンボル「伊江島タッチュー」の麓にある「西江上(ニシエウエ)」という地区です。
この地区には伊江島に関連する戦没者を祀る「芳魂之塔」も建っています。
この慰霊塔の北側に「西江上団地」があり、その団地内に「ユナパチク壕跡」の碑が建立してあります。
ユナパチク壕では集団自決(強制集団死)があったという証言がされています。
ただ、村などの公式な記録にはユナパチク壕の存在が記されておらず、証言者も目の前で肉親が亡くなったトラウマや信じてもらえるのか等、長きに亘ってユナパチク壕について口にしなかったようです。
伊江島には平坦な地形を利用して旧陸軍が飛行場を建設しています。
その影響もあってか、米軍の攻撃目標にもされて伊江島には激しい艦砲射撃と上陸作戦で4月16日から5日間で伊江島は制圧されました。
伊江島の守備軍も全滅し、日本軍は建設した伊江島飛行場を破壊しましたが米軍は直ぐに復旧させて米軍の補助飛行場となります。
住民らは島内各地の壕へ逃げ込みましたが、アハシャガマのように手榴弾を利用した集団自決が起こってしまいました。
ユナパチク壕の集団自決については証言者がほぼいないという状況ですが、簡単には否定することができないことかと思います。
✅ユナパチク壕跡
ユナパチク壕跡
第二次世界大戦中の1945(昭和20)年4月15日に米軍が伊江島に上陸し、6日間の激しい戦闘の末、住民約1500人、日本軍将兵約2000人の日びとが犠牲になりました。
ユナパチク壕は旧日本軍によって掘られた壕で、地下約15m、長さ約50m、横穴は幅約1.8m、高さ約2mのトンネル状に掘り抜かれた壕であった。
入口は東西二ヵ所、東側(現在地)には湧き水が出ていた。
生存者の並里千枝子さんの著書「知られざるユナッパチク壕~あの時、地の底で何が起きたのか~」から…逃げ場を失い追い詰められた住民およそ80人が、日本軍から渡された手榴弾によって集団自決する悲劇が起こりました。
悲惨な戦争を語り継ぎ、犠牲となられた方々の追悼と永久の平和を祈念し、戦後70周年にあたりここに記念碑を建立する。
平成28年3月吉日 伊江村