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筑前町原地蔵に残る「憲兵分遣隊舎の煉瓦塀」

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憲兵分遣隊舎の煉瓦塀

名称 憲兵分遣隊舎の煉瓦塀
住所

〒838-0824
福岡県朝倉郡筑前町原地蔵

解説 1919年の大刀洗飛行場設置と同時期に「久留米憲兵隊大刀洗分遣隊」が発足して、周辺の治安維持に当たった。 難度
A

 

今回は福岡県朝倉郡筑前町に残る「憲兵分遣隊舎の煉瓦塀」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

住宅地に溶け込んでいますね!!

現在の福岡県朝倉郡筑前町には、日本陸軍の飛行場である「太刀洗飛行場」がありました。
外地への中継地点として計画された飛行場で、1916年に計画され1919年に完成しました。

太刀洗飛行場は、所沢(埼玉県)・各務ヶ原(岐阜県)・八日市(滋賀県)に続く4ヵ所目の陸軍飛行場でした。
42万5000坪の土地に、長さ500m×幅200mの滑走路が2本作られて太刀洗飛行場となります。

この場所が選ばれた理由として
1.海岸線から40㎞以上離れているので艦砲射撃の影響を受けない
2.高い山が無く、平野部である
3.風向きが安定しており、気候も飛行に適している
4.用地取得が容易である

その後、様々な施設が次々と建設されていくと土地面積は115万2000坪に膨れ上がり、東洋一とも称されるほどの航空基地となりました。
陸軍の飛行場ですが、日本航空輸送株式会社という郵便や貨物輸送の民間企業の支所が置かれると、東京~大阪~太刀洗便太刀洗~蔚山~京城~平壌~大連便が航空輸送を開始しました。
1929年には日本初の旅客輸送が開始されます。
しかしながら、現代のような大型航空機とは程遠い乗員2名・旅客6名の旅客機によるスタートでした。

大平洋戦争終了に至るまで日本には「憲兵」がいました。
憲兵は軍隊・軍事施設内の治安秩序維持に努める部隊で、軍隊の中の警察官のような役割がありました。
それ以外にも戦時体制が強化されてくると、思想取り締まりや国内に蔓延る他国のスパイに対応するなど、広く力を発揮しています。

日本陸軍の飛行場である太刀洗飛行場にも憲兵はいました。
1919年10月の太刀洗飛行場設置とほぼ同時期に、久留米憲兵隊大刀洗分遣隊として開隊しています。
憲兵の主任務は軍隊・軍事施設内の治安秩序維持にありますが飛行場という土地柄、飛行機が墜落した時などは隊員の救助や墜落の事後処理に当たりました。

現在は隊舎の煉瓦塀が残されています。

憲兵分遣隊舎の煉瓦塀

憲兵分遣隊舎の煉瓦塀
大正8年(1919年)、大刀洗飛行場が10月に開隊したのとほぼ同じ12月に、久留米憲兵隊大刀洗分遣隊として発足しました。軍隊の警察官としての立場で、多いときは10人ぐらいの隊員がここ大刀洗飛行場に関連する部隊や周辺の治安を担当していました。
例えば、訓練中の飛行機が墜落した時などいち早く駆け付け、隊員の救助や周辺の警備にあたったりしました。今でも煉瓦塀敷地内に、隊長官舎や厩舎跡が残っています。

案内看板より引用

機銃掃射か爆撃による損傷か?

高さは2.5mくらいあるので、中を見るなどは難しい

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ポチ太郎

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