旧西中共同製糖場跡
名称 | 旧西中共同製糖場煙突 | |||
住所 | 〒906-0106 沖縄県宮古島市城辺西里添 |
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解説 | 伝統産業である製糖業を象徴している煙突で、県内でも希少な昭和前期の製糖工場の遺構。 平成25年6月に国登録有形文化財に登録されている。 旧日本軍による強制接収によって操業停止となり、戦後も使用されることはなかった。 |
難度 | ||
A |
沖縄県は現在でもさとうきびを利用した製糖が行われています。
昔から製糖工場が各地にありましたが、沖縄戦の際には旧日本軍により接収されてしまい、そのまま操業停止となった工場があります。
宮古島市城辺西里添には、かつての製糖工場の煙突が残されています。
国指定登録有形文化財(建造物)
旧西中共同製糖場煙突
西中共同製糖場煙突は、1942(昭和17年)に設立された西中共同製糖場跡地に残る煉瓦造りの煙突です。
この製糖場の建設にあたっては、西中部落、西西部落の農家百数名で組合を結成し、工場の建設資材は組合員が平良の漲水港から運び入れるなど並々ならぬ力を注いだといわれます。特に、ボイラーの運搬はかなりの重量だったため、特注の荷馬車で、馬2頭に後退で轢かせて運んだとあります。
しかし、施設は2~3回創業しただけで、太平洋戦争で旧日本軍に強制的に取り上げられ、日本兵が駐屯したため、創業中止に追い込まれ、戦後は使用されませんでした。
古い写真には切妻屋根の建物が5、6棟写っており、屋根に使われたセメント瓦は全て建築現場で製造したという記録が残っています。
また、煙突は当初、高低2本あり、20m近くあったと言われる高い方の煙突には「西 西中共同製糖場」の文字を読み取ることが出来ました。
しかし、米軍機のロケット砲弾で損傷し、その後の台風で上部が崩れ、現在は燃焼室を含む約13mが残っており、記載されていた文字は微かに痕跡が残るのみで読むことが出来ません。
煙突に隣接して、2基の大型蒸気ボイラーの動力用水タンクとして使用されていた貯水槽が残されています。貯水槽の外壁の縁は、安全確保のためにガラスやビンなどの破片がセメントで固められ、人が歩けないようにしてありました。
1960年頃、損傷の激しい煙突を撤去しようとする動きがありましたが、工場設立に苦心した中村清一郎(昭和3~5年まで城辺村長)の業績の記念の一つとして末永く保存しようということになり、現在に至っています。宮古島市教育委員会
✅旧西中共同製糖場煙突
この場所には他に高い建物が無いので、このレンガ煙突はかなり目立ちます。
表面を見てみると、戦争による損傷を見ることが出来ます。
イギリス積みの高さ13mの煙突です。