栄里之塔
今回は沖縄県糸満市真栄里にある「栄里之塔」だべ
「バックナー中将戦死之跡」の隣にあります!!
沖縄県糸満市真栄里の住宅街から離れた場所に「栄里之塔」が建立されています。
終戦後の昭和27年3月、真栄里地区の住民により田畑・道ばた・丘に散らばる遺骨を集めて「栄里の塔」が建立されています。
所在地:沖縄県糸満市真栄里
沖縄県営平和祈念公園より引用(https://heiwa-irei-okinawa.jp/ireitouhi/eirinotou/)
建立年月日:昭和27年3月(昭和43年3月改修)
合祀者数:12,000柱
管理団体:(一財)沖縄県遺族連合会
歩兵第22連隊は第32軍の左翼第1部隊として真栄里付近に布陣を敷き戦ったが、昭和20年6月17日に全滅した。ここは米第10軍司令官バックナー中将が戦死した地でも知られる。終戦後、真栄里地区の住民は田畑、道ばた、丘などに散らばる遺骨を集め、この塔を昭和27年3月に建立した。昭和43年3月、?沖縄協会の援助を受け改装された。
歩兵第二二連隊は第三二軍の左第一線部隊として真栄里付近に布陣し、南進を続ける優勢なる米軍に対し熾烈なる砲火をあびせ遂に米軍司令官バーグナー中将もこの地に戦死す。住民とともに勇戦奮斗せる我が軍は物量を誇る米軍の攻撃に抗しきれず善戦空しく昭和二十年六月十七日玉砕し悠久の大義に生く。
終戦後真栄里部落民は本戦斗に協力せし住民並びに将兵の遺骨一二、〇〇〇柱を収集し栄里之塔を建立せしもこのたび南方同胞援護会の助成を得てあらたにこの地を画し塔を改修し、永くその遺烈を伝え英魂を弔う。
昭和四三年三月 財団法人 沖縄遺族連合会
石碑より引用