黒しばわんこの戦跡ガイド

筑前町に建立する「時計台跡」

calendar

時計台跡

名称 時計台跡・西日本航空発祥之地碑
住所

〒838-0824
福岡県朝倉郡筑前町原地蔵2226

解説 現在建立している慰霊塔は、元々は飛行第四連隊の本部庁舎前に建っていた時計塔を改修したものである。
隣には西日本航空発祥之地碑が建つ。
難度
A

今回は福岡県朝倉郡筑前町に残る「時計台跡」だべ

ポチ太郎
ポチ太郎
ハチ公
ハチ公

西日本航空発祥之地碑が隣り合ってます!!

1903年、アメリカのライト兄弟が世界初の飛行機を発明した約7年後、1910年に飛行機が日本の空へ初めて飛び立ちました。その後、航空機の研究が進められる中で、1919年に現在の福岡県朝倉郡筑前町に「太刀洗飛行場」が完成しました。

飛行場建設において、陸軍は以下の条件を満たす場所を探しており、この場所が選ばれました。
1.艦砲射撃による攻撃を防ぐため、海岸線から40㎞以上離れている
2.高い山が無く、平野部である
3.風向きが安定しており、気候も飛行に適している
4.用地取得が容易である

太刀洗飛行場は、所沢(埼玉県)・各務ヶ原(岐阜県)・八日市(滋賀県)に続く4ヵ所目の陸軍飛行場でした。
42万5000坪の土地に、長さ500m×幅200mの滑走路が2本作られて太刀洗飛行場となります。
その後、様々な施設が次々と建設されていくと土地面積は115万2000坪に膨れ上がり、東洋一とも称されるほどの航空基地となりました。

陸軍の飛行場ですが、日本航空輸送株式会社という郵便や貨物輸送の民間企業の支所が置かれると、東京~大阪~太刀洗便太刀洗~蔚山~京城~平壌~大連便が航空輸送を開始しました。
1929年には日本初の旅客輸送が開始されます。
しかしながら、現代のような大型航空機とは程遠い乗員2名・旅客6名の旅客機によるスタートでした。

現在、太刀洗飛行場跡地は住宅と畑が広がっておりますが、遺構もいくつか残っています。

慰霊碑(時計台跡)と西日本航空発祥之地碑

現在建立する慰霊碑は、飛行場に駐屯していた飛行第四連隊の庁舎に建っていた時計塔を改修したものです。

慰霊碑(時計台跡)

西日本航空発祥之地碑

にほんブログ村 歴史ブログ 戦争遺産へ

この記事をシェアする

ポチ太郎

ポチ太郎

戦跡と旅行と黒柴が好きな管理人です。
博物館・資料館好きが高じて、国家資格の学芸員を取得しました🐶✨
ブログとYoutubeチャンネル「ゆっくりポチ太郎」を運営しています🐶♪ [詳細]

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。