第24師団司令部壕
今回は沖縄県糸満市与座にあった「第24師団司令部壕」だべ
森の中に壕が残っています!
沖縄県糸満市与座の丘陵内に「第24師団司令部壕」があります。
第24師団は、第32軍隷下の部隊で沖縄本島南部に主陣地を構えた師団でした。
1939年、中国大陸のハルビンで設立された国境警備師団で、1944年に沖縄本島にやってきます。
当初は本島中部にて陣地構築を行っていましたが、1944年12月の第9師団台湾移駐に伴って本島南部地域に拠点を移します。
地上戦が始まると隷下部隊の歩兵第22連隊・歩兵第32連隊・歩兵第89連隊はそれぞれ、前田高地や棚原、運玉森などで戦いました。
この司令部壕は、第32軍が首里司令部を放棄するまで使用されました。
この壕を出た第24師団司令部は、更に南の糸満市宇江城にある「クラガー」に移り、そこで馬乗り攻撃などを受けて師団長の雨宮巽中将と以下将兵は自決しました。
第24師団司令部が放棄し空になった元司令部壕には歩兵第89連隊が入って、南進してくる米軍を食い止めます。
司令部壕は与座の丘陵内に残されています。
入口から10m程は急斜面で地下に潜っていきます。
斜面を降りきると幅1.5mほどの通路を緩やかに下ります。
戦後約75年程経過していますが、現在でも遺骨収集や調査が行われるようです。
壕入口や壕内には発見された遺品がまとめられています。
平成31年、壕内にて41式山砲が発見されています。
発見された砲は名護市の私営の民族資料博物館に展示されています。
41式山砲は、主に歩兵連隊に配備されていたことから「聯隊砲」とも呼ばれます。
野戦砲などと比べると軽量で、分解して馬で運ぶことができます。
東京都にある遊就館でも同砲が展示されています。